大邱(テグ)の都心のど真ん中、地下鉄の中央路(チュンアンノ)駅から数分歩くと、丹青(タンチョン)の鮮やかな朝鮮の官衙の建物が現れます。慶尚監営公園は、朝鮮後期の約300年にわたって慶尚道全体を治めていた官庁慶尚監営があった場所です。今でいう道庁にあたる所で、観察使が執務をしていた宣化堂(ソンファダン)と住まいの澄清閣(チンチョンガク)が森の中に残り、街の長い歴史を伝えています。
朝鮮は全国を八道に分け、道ごとに観察使(監司)を送りました。観察使が滞在して行政と裁判、軍事を担った官庁が監営です。慶尚監営は最初は慶州にありましたが、尚州(サンジュ)、八莒県(パルコヒョン)、達城(タルソン)、安東(アンドン)などを転々としました。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)中の1596年に初めて大邱に置かれたものの、翌年の丁酉再乱(慶長の役)で焼け、1601年(宣祖34年)にようやく大邱に定着しました。このときから大邱は慶尚道の中心都市として成長しました。
1896年に地方制度が変わったあとも、ここは慶尚北道の中心で、1910年から1965年まで慶尚北道庁舎として使われました。道庁が山格洞(サンギョクトン)へ移ったあとの1970年に公園となり、長く「中央公園」と呼ばれていましたが、1997年に現在の名前になりました。監営の跡地は2017年、国の史跡「大邱慶尚監営址」に指定されました。