Gyeongjuの観光スポット42か所(慶州 感恩寺跡(カムンサジ)、慶州 鶏林(ケリム)、慶州 骨窟寺(コルグルサ)など)。地図やスポット情報、出発前に知っておきたい…
42か所を1つの地図で確認して、ルートを組み立てましょう。

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)の市街地から東海(トンヘ)に向かって車を走らせると、野原の果ての丘の下に、巨大な石塔が2基並んで立っています。寺の建物はすべて失われ礎石だけが残っていますが、この跡地には、死んでもなお国を守ろうとした一人の王の物語がそのまま込められています。感恩寺(カムンサ)という名前は、父の恩に感謝するという意味です。 歴史:海の龍になった王 三国を統一した文武王(ムンムワン)は、仏の力で倭寇を防ごうと、東海の近くに寺を建て始めました。王は、自分が死んだら海の龍となって…

史跡
경주시
瞻星台(チョムソンデ)と月城(ウォルソン)の間、エノキやケヤキが生い茂る小さな森が鶏林(ケリム)です。慶州金氏の始祖金閼智(キム・アルジ)が、金色の櫃(ひつ)の中から見つかったという物語が宿る場所で、かつては新羅という国を指す名前にまで使われました。慶州市内の遺跡を歩いて回っていると自然に通ることになる森なので、少し立ち止まって物語を知ってから見ると、ぐっと楽しくなります。 ニワトリの鳴き声と金の櫃の話 伝説によると、脱解王(タレワン)の時代、王が都城の西の森でニワトリの鳴…

寺院・教会
경주시
穴だらけの黄色い岩の断崖に階段と手すりが張りつき、そのいちばん高い所で、仏さまが東海のほうを見つめています。骨窟寺(コルグルサ)は、慶州の含月山のふもとにある石窟寺院です。数十メートルの高さの凝灰岩の断崖に12の石窟が開けられていて、今では仏教武芸禅武道(ソンムド)の総本山としてのほうが有名で、「韓国の少林寺」というあだ名がつきました。 歴史:インドから来た人々が開いた石窟 約1,500年前、インドから来た光有(クァンユ)仙人の一行が含月山に腰を据え、骨窟寺と隣の祇林寺(キ…

古い街並み・広場
경주시
慶州の月城(ウォルソン)と南川(ナムチョン)の間、瓦屋根の家が低く連なる韓屋の村です。校村村は、新羅の国立教育機関があった場所に郷校(ヒャンギョ)が受け継がれてきた村で、名前も「郷校のある村」という意味です。慶州・崔富者家(チェブジャテク)の古民家と慶州郷校、伝統酒の校洞法酒(キョドンポプチュ)がここにあり、復元された月精橋(ウォルジョンギョ)とすぐ隣り合っています。 歴史:国学から郷校まで この場所には、新羅の神文王2年の682年、新羅初の国立教育機関国学が建てられたと伝…

史跡
경주시
慶州市内から仏国寺へ向かう道の途中、北側の低い丘のふもとに、四角い墓がひとつあります。丸い墳丘がほとんどの新羅の墓のなかで唯一の四角い墓(方形墳)なので、慶州で古墳をいくつも見てきた人ほど目が留まる場所です。墓のまわりの護石には、鎧をまとった十二支神像が刻まれています。 どんな墓? 統一新羅時代の墓で、一辺約9.5m、高さ約2mの正方形の墳丘です。墳丘の下には、よく整えた長い石を3段に積んで周囲をつくり、各面に十二支神像を刻んだ支え石を3つずつ立てています。墓の内部は、横か…

史跡
경주시
1921年9月、慶州市内の路西洞(ノソドン)で家を建てていた人が、庭をならそうと近くの丘の土を掘って運びました。その土の中から子どもたちがビーズを拾って遊んでいるのを見た警察が丘を調べると、そこは古墳でした。こうして世に出たのが、新羅の金冠として初めて発見された金冠で、古墳には金冠塚という名がつきました。今は、墓の内部構造をのぞける展示館として生まれ変わっています。 わずか4日で終わった発掘 墓の主は、頭に金冠をかぶり、金の耳飾り、首飾り、金の帯、金の腕輪、金の指輪を身に着…

寺院・教会
경주시
慶州の東、含月山(ハムォルサン)の麓、東海の海からそう遠くない森の中に祇林寺があります。かつては仏国寺(プルグクサ)がこの寺の末寺だった時代があるほど、一時は慶州一帯で最も大きな寺でしたが、交通が不便なため、今ではぐっと静かな山寺として残っています。丹青の色あせた大寂光殿と五点の宝物、そして五つの味の泉の話が、この寺を訪れる理由です。 歴史:インドの僧が建て、元暁が育てた寺 祇林寺は、新羅の時代にインドの僧光有(クァンユ)が建てて林井寺(イムジョンサ)と呼び、元暁(ウォニョ…

史跡
경주시
松林に囲まれた稜線の上、丸い墳丘の下をぐるりと一周してみると、12の動物の頭をした守護神たちが、みな同じ方向に顔を向けています。慶州金庾信墓は、新羅の三国統一を導いた将軍金庾信(キム・ユシン、595〜673)の墓と伝わる場所で、臣下の墓でありながら、王陵に匹敵する規模と装飾を備えています。 歴史:王のように葬られた将軍 金庾信は、新羅に降伏した金官伽倻(クムグァンカヤ)の王族の子孫です。金春秋(キム・チュンチュ、のちの太宗武烈王)と婚姻で結ばれて政治的な足場を築き、660年…

史跡
경주시
慶州の五陵(オルン)から南東へ1kmほど、松林に囲まれた芝生の広場が蘿井(ナジョン)です。新羅を建国した朴赫居世が卵から生まれたと伝わる井戸のあった場所で、長いあいだ伝説の場所としか考えられていませんでした。ところが2000年代の発掘で、実際の井戸の跡と大きな八角形の建物跡が見つかり、新羅がここを国の始まりを称える神聖な場所として祀っていたことがわかりました。 白い馬と赤い卵の伝説 新羅が建国される前、慶州一帯は6人の村長が分けて治めていたといわれます。ある日、高墟村(コホ…

山
경주시
松林の道を登っていくと、岩のあちこちに仏様が座っています。岩に浅く刻まれたものもあれば、頭を失ったまま座っているものもあります。慶州南山(キョンジュ・ナムサン)は、新羅の千年を通じて最も神聖とされてきた山で、谷ごとに寺院跡100か所あまり、石仏80体あまり、石塔60基あまりが点在しています。そのため、山全体が「屋根のない博物館」と呼ばれています。 歴史:新羅が始まり、終わった山 南山は、北の金鰲峰(クモボン、468m)と南の高位峰(コウィボン、494m)の2つの峰を中心に、…

自然
경주시
慶州(キョンジュ)の西、西面(ソミョン)の道里村(ドリマウル)の前には、イチョウがぎっしりと並び立ち、晩秋になると森全体が黄色く染まります。自然林でも公園でもないこの森は、もともと苗木として売るために植えた木が育った結果です。新羅の遺跡であふれる慶州で、まったく違う顔を見せてくれる秋の名所です。 売れなかった苗木がつくった森 このイチョウは、ある個人が苗木として育てて売る目的で、数十年前から育てていた私有地の木です。販路が途絶えてそのまま育ち、今の森になりました。苗木用にご…

史跡
경주시
玉山書院(オクサンソウォン)から紫渓川(チャゲチョン)に沿って谷を少し上ると、土塀の向こうに、500年近く一族が守り続けてきた古い邸宅が現れます。朝鮮性理学の先駆者である晦斎・李彦迪(イ・オンジョク)が官職を辞して下り、「ひとりで楽しむ」という意味の名前をつけた離れ座敷、独楽堂(獨樂堂)です。塀に開けた窓から小川を眺め、岩の上に東屋をのせたこの家は、人が自然をどのように家の中へ招き入れたかを教えてくれます。 李彦迪がひとり暮らした家 李彦迪(1491〜1553年)は良洞村(…

宮殿
경주시
慶州 東宮と月池(トングンとウォルチ)は、新羅が三国を統一した直後に造られた王宮の別宮跡と人工池です。日が暮れると復元された殿閣に明かりが灯り、その姿が池の上にそのまま映って、慶州の夜景の名所の筆頭に挙げられます。長いあいだ「雁鴨池(アナプチ)」という名前で呼ばれてきましたが、発掘によって、新羅時代の名前が「月池」だったことがわかりました。 歴史:文武王の池 『三国史記』には、文武王14年の674年に宮の中に池を掘り、山をつくって花や木を植え、珍しい鳥や獣を飼ったという記録…

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)の狼山(ナンサン)の麓、広い草地に、礎石と2本の石柱だけが残る寺跡があります。望徳寺跡は、新羅が唐の使臣の目をごまかすために建てたという話が伝わる寺の跡で、道を一本挟んで四天王寺跡と向かい合っています。建物は消えましたが、統一新羅の寺院に典型的な伽藍配置を、地面の上でそのまま読み取れる場所です。 唐をだますために建てた寺 『三国遺事』に載る話はこうです。679年(文武王19年)、唐が新羅を攻めようとすると、新羅は仏の力でこれを防ごうと、狼山の下に四天王寺を…

史跡
경주시
慶州の西、仙桃山(ソンドサン)のふもとにある武烈王陵は、三国統一の基礎を築いた新羅第29代太宗武烈王・金春秋(キム・チュンチュ)の墓です。新羅の王陵の中で、墓の主がはっきり分かっている数少ない陵で、その根拠となった太宗武烈王陵碑(国宝)の亀の台座は、新羅の石造彫刻の傑作とされています。陵の裏には、大きな古墳が4基、丘に沿って続いています。 金春秋、最初の真骨出身の王 金春秋は、真徳女王の次に王位についた初めての真骨出身の王です。即位前から高句麗や唐を自ら行き来して外交手腕を…

史跡
경주시
慶州文武大王陵は、慶州市文武大王面(ムンムデワンミョン)の烽吉里海岸から約200m離れた海上の岩礁です。三国統一を成し遂げた新羅の第30代・文武王(在位661〜681)が眠っていると伝わる場所で、海の中につくられた王陵という点で、ほかではなかなか見られない遺跡です。遠くから見ると普通の岩礁のようですが、そこに込められた物語を知ってから眺めると、海岸の風景がまるで違って見えてきます。 歴史:龍になって海を守るという遺言 『三国史記』によると、文武王は亡くなるにあたり、仏教式に…

自然
경주시
慶州(キョンジュ)市街の東、明活山(ミョンファルサン)の古い城跡の下には、広々とした湖を中心につくられた観光団地が広がっています。普門湖は、普門観光団地のまんなかにある人造湖で、湖畔を1周する散策路と、春の桜で知られています。遺跡めぐりが中心の慶州旅行のあいだに、開けた水辺でひと息つくのにぴったりです。 歴史:国がつくった観光団地 普門観光団地は、慶州の歴史・文化資源を観光産業につなげるための国家事業として始まりました。1971年8月に政府が慶州観光開発計画を確定し、197…

寺院・教会
경주시
慶州(キョンジュ)の皇龍寺跡の隣、小さなお寺の境内に、黒いレンガの塔のように見える塔が立っています。近づいてみると、レンガではなく、石を一つひとつレンガの形に削って積んだものだと分かります。芬皇寺の模磚石塔(もせんせきとう)は、現存する新羅の石塔のなかで最も古い塔です。寺は小さいですが、新羅仏教がいちばん輝いていた時代を今に伝えています。 歴史:女王の寺、元暁の寺 芬皇寺は、善徳女王3年の634年に完成したお寺です。「芬皇」は「香り高い王」という意味で、善徳女王を指すと解釈…

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)の東のふもと、村の中に、蓮の葉に覆われたこぢんまりとした池があります。名前は「書(手紙)が出た池」という意味の書出池(ソチュルジ)。新羅の炤知王(ソジワン)が、この池から出てきた一通の手紙のおかげで命拾いしたという話が、『三国遺事』に記されています。夏になると、池のほとりの百日紅(さるすべり)が薄紅色の花を咲かせ、朝鮮時代の東屋二楽堂(イヨクタン)が水面に映って、慶州でも指折りの夏景色になります。 琴の箱を射よ 『三国遺事』の炤知王の条に伝…

史跡
경주시
慶州市街の東、低い狼山(ナンサン)のふもとの松林の中に、新羅初の女王が眠っています。善徳女王陵は、主がはっきり分かっている数少ない新羅の王陵のひとつで、瞻星台(チョムソンデ)と皇龍寺九層木塔を残した王の墓です。曲がりくねった松の間を歩いて登る道が静かで、大陵苑のにぎわいとはまったく違う慶州に出会えます。 新羅初の女王 善徳女王は、新羅の第27代の王で、632年から647年まで治めました。息子のいなかった真平王(チンピョンワン)の娘で、聖骨だけが王位につけた新羅の独特な身分秩…

その他
경주시
慶州で観光客ではなく、地元の人々にまじって食事をしたいなら、城東市場が答えです。旧慶州駅の向かい、院和路(ウォンファロ)の入口にある慶州最大の伝統市場で、1971年から今の場所で市が立ってきました。おかずを自分で選んで盛る韓国料理のビュッフェ路地やキンパ屋、慶州の野で採れた野菜や果物が、ひとところに集まっています。 名前と場所 名前の城東(ソンドン)は、「城の東」という意味です。市場は旧慶州駅のすぐ向かいにあり、汽車でやってきた人や近隣の村の人々が行き交いながら買い物をした…

海岸・島
경주시
慶州の東海岸、良南面の邑川(ウプチョン)港と河西(ハソ)港のあいだの海辺では、岩が扇を広げたように四方へ伸びています。慶州 良南柱状節理群は、溶岩が冷えるときに割れてできた石の柱が、立っているもの、斜めに傾いたもの、横たわったものまで、一つの海岸に集まっている場所です。とくに真ん中から花びらのように広がる扇形の柱状節理は、国内のほかの柱状節理ではなかなか見られない形で、海沿いに続く1.7kmの「柱状節理パドソリ道(波の音の道)」を歩くだけで、すべて見られます。 石の柱はどう…

古い街並み・広場
경주시
慶州 良洞村(ヤンドンマウル)は、慶州市内から北東へ約20km離れた江東(カンドン)面の薛昌山(ソルチャンサン)の麓にある、両班(ヤンバン)の氏族村です。慶州孫氏と驪江(ヨガン)李氏の二つの家門が、助け合い、競い合いながら600年近く続けてきた村で、今も住民が瓦屋根の家や草葺きの家で暮らしています。2010年、安東(アンドン)の河回(ハフェ)村とともに、「韓国の歴史村:河回と良洞」としてユネスコ世界遺産に登録されました。 歴史:妻の実家に入った婿たちがつくった村 良洞村は、…

史跡
경주시
大陵苑(テルンウォン)の大きな古墳群でにぎわったあと、少し南へ下ると、松林に囲まれた静かな陵域が現れます。慶州 五陵は、新羅を建てた朴赫居世(パク・ヒョッコセ)と王妃閼英夫人(アリョンぷにん)、そして第2代南解王、第3代儒理王、第5代婆娑王の墓と伝わる5基の墳丘です。規模は大きくありませんが、新羅の始まりを語る伝説と祭祀の空間が、一か所に集まっています。 歴史:記録と伝説のあいだ 『三国史記』には、4人の朴氏の王を曇厳寺(タモムサ)の北にある蛇陵園(サルンウォン)に葬ったと…