慶尚南道の観光スポット71か所(伽倻山(カヤサン)、加助島(カジョド)、巨済 風の丘(プンエ・ノンドク)など)。地図やスポット情報、出発前に知っておきたいヒントをまとめ…

山
합천군
慶尚南道の陜川(ハプチョン)と慶尚北道の星州(ソンジュ)の境にそびえる標高1,433mの岩山で、南のふもとに、八万大蔵経を納めた海印寺(ヘインサ)があります。昔から「朝鮮八景」のひとつに数えられ、1972年に9番目の国立公園となりました。海印寺から上る森の道と、星州側の万物相(マンムルサン)の岩の稜線という、2つの顔をもつ山です。 神話と学者の山 伽倻山という名前には、伽倻の建国神話が絡んでいます。山の神正見母主(チョンギョンモジュ)が天の神と出会って2人の息子を産み、兄は…

海岸・島
거제시
巨済島(コジェド)の北西にくっついた小さな島・加助島(カジョド)は、巨済で夕日を見に行く場所です。2009年に架かった橋を車で渡って行けて、島を一周する道に沿って、カタクチイワシを干す漁村と牡蠣の養殖場、夕焼けの丘が続きます。大きな観光地ではなく、静かな島の村の風景を見たいときに立ち寄るのにぴったりです。 どんな島? 加助島は巨済市沙等面(サドゥンミョン)の倉湖里(チャンホリ)に属する島で、面積5.86㎢、海岸線の長さ17.5kmです。いちばん高い場所は島の真ん中にそびえる…

展望スポット
거제시
巨済島(コジェド)の南端、道長浦村(トジャンポマウル)のすぐ上に、木が一本もなく草に覆われた丘が、海に向かってぽつんと突き出しています。四方から海風が吹くため風の丘と呼ばれるこの場所は、短く刈ったような草原とオランダ風の風車、その向こうに広がる多島海のおかげで、巨済で最も多くの人が訪れる風景のひとつになりました。海金剛(ヘグムガン)と外島(ウェド)へ向かう遊覧船が下の港から出るので、島旅の出発点としてもおすすめです。 ティバッヌルから風の丘へ この丘のもとの名前は「ティバッ…

展望スポット
거제시
巨済島(コジェド)南端の南部面葛串里(カルゴッリ)、標高107mの牛祭峰(ウジェボン)のすぐ下に、名勝海金剛(ヘグムガン)をもっとも近くから見下ろす展望台があります。海金剛マウルからツバキとマツの森の道を20〜30分歩くと着き、遊覧船に乗らなくても、海に浮かぶ岩の島々や南海の島々を一望できます。入場料なしで、いつでも上れます。 ツバキの森の道を歩く 散策路は、海金剛の券売所の横の小道から始まり、頂上まで約1km続きます。自生のツバキとマツがトンネルをなす道なので、ツバキの咲…

海岸・島
거제시
「海の金剛山」という意味の海金剛は、巨済島(コジェド)の南端、カルゴッ里(カルゴクリ)の沖にそびえる岩の島です。切り立った絶壁の間を船が入っていく十字洞窟や、波と風が削り出した奇岩が続き、1971年に国の名勝第2号に指定されました。船に乗って島を一周するか、向かいの禹堤峰(ウジェボン)展望台に登って見下ろすか、2つの方法で見られます。 どんな場所か 海金剛は、閑麗海上国立公園(ハンニョヘサンクンニプコンウォン)の中、巨済市南部面の海金剛村の船着き場から約500m離れた海にあ…

海岸・島
거제시
巨済島(コジェド)は、済州島に次いで大きな韓国の島で、面積は約380㎢です。リアス式海岸が443km以上うねりながら続き、丸石の海岸や岩島、海岸の断崖をつくっています。壬辰倭乱の海戦、朝鮮戦争の捕虜収容所、巨大な造船所まで、韓国史のさまざまな場面がこの島に重なっています。釜山(プサン)から巨加大橋(コガデギョ)を渡ればすぐ着くので、南海岸の旅の拠点にするのに向いています。 島は高くて険しい山が多く、海岸線のすぐ後ろに山並みがそびえています。最も高い山は南端の加羅山(カラサン…

博物館・美術館
거제시
朝鮮戦争のとき、巨済島(コジェド)には最大17万3千人の捕虜が収容されていました。島の人口より多い人々が鉄条網の中で過ごし、捕虜が収容所長を拉致する事件まで起きました。巨済島捕虜収容所遺跡公園は、その収容所の跡地に残る遺跡と展示館で、冷戦が生んだ「戦争の中の戦争」を伝える場所です。 歴史:島に建てた巨大な収容所 巨済島は、本土に近くて捕虜を運びやすい一方、当時は船でしか行き来できず、隔離するのに適していました。国連軍は1950年11月から古縣(コヒョン)、水月(スウォル)、…

庭園・公園
거제시
巨済植物園の中心は、高さ30m、面積4,468㎡のガラスドームジャングルドームです。国内最大の単一温室とされるこのドームの中に、熱帯植物300余種、1万本余りがびっしりと育ち、ガラスの天井の下に滝が流れ落ちます。雨の日や真冬でも半袖姿が似合う、巨済の屋内スポットです。 海辺の農村に建ったガラスのドーム 植物園は、巨済面(コジェミョン)の巨済市農業開発院の敷地内にあります。国費と道費、市費をあわせて280億ウォンをかけて、熱帯温室と屋外の生態池をつくり、2020年1月にオープ…

海岸・島
고성군
慶尚南道(キョンサンナムド)固城郡下耳面(ハイミョン)の徳明里海岸は、広い岩の床の上に、中生代の恐竜と鳥の足跡がそのまま残っている場所です。恐竜の足跡産地としては量も多様性も世界有数で、中生代の鳥の足跡化石産地としては世界最大と評価され、1999年に天然記念物に指定されました。波に削られてできた洞窟岩床足岩(サンジョガム)や奇岩絶壁もあって、化石を探しながら海岸を歩く楽しみがあります。 足跡はどうやって残ったのか この地層は、慶尚累層群のチンドン層です。水辺の泥の上を歩いた…

城郭・要塞
거제시
巨済島の東側、九助羅村の裏山には、朝鮮水軍が倭寇を防ぐために築いた九助羅鎮城があり、村から城までは竹林のあいだを抜けるセッパラムソリ道が続いています。空が見えないほどびっしり茂った竹のトンネルを抜けて丘に上ると、城壁の向こうに、九助羅海水浴場と内島・外島の海が一度に広がります。1時間あまりで、村と竹林、古い城、展望台をぐるりと一周できます。 海を守った水軍の陣地 九助羅鎮城は、朝鮮前期に倭寇を防ぐための前線の陣地として築かれた城です。成宗21年(1490年)に築かれたと伝わ…

博物館・美術館
김해시
黒いレンガで建てられた国立金海博物館は、遠くから見ると巨大な鉄の塊のようです。鉄鉱石と木炭を思わせるこの外壁は、「鉄の王国」と呼ばれた伽耶を象徴しています。1998年7月29日、伽耶の建国神話が伝わる亀旨峰(クジボン)の麓にオープンした、伽耶文化を専門に扱う国立博物館です。 歴史:伽耶のための博物館 伽耶は文献の記録があまり残っていない国なので、博物館は、遺跡と遺物で伽耶を明らかにする考古学展示に力を入れています。本館は、建築家・張世洋(チャン・セヤン)の最後の作品として知…

史跡
김해시
金海(キメ)の市街地のまんなかにある低い丘が、金官伽耶(クムグァン・カヤ)の王と支配層の墓です。1世紀から5世紀まで、400年以上にわたって墓がつくられた場所で、伽耶が小さな国・狗邪国(クヤグク)から金官伽耶へと成長していく過程を、墓を通して読み解くことができます。2023年に「伽耶古墳群」のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録され、すぐ隣の博物館で出土遺物を無料で見られます。 墓で読み解く伽耶の歴史 古墳群は、長さ約300m、高さ約20mのなだらかな丘にあります。発掘の結果…

史跡
김해시
金海(キメ)市街のど真ん中にある低い丘鳳凰台(ポンファンデ)と、その下に広がる貝塚一帯は、金官伽耶(クムグァンカヤ)の人々の暮らしの場だった鳳凰洞遺跡です。1907年に韓国で初めて考古学調査が行われた会峴里(フェヒョンニ)貝塚と、金官伽耶最大の生活遺跡がともにあり、首露王陵や大成洞古墳群が見せる「死者の伽耶」と対をなす、「生きた人々の伽耶」に出会えます。 貝塚から王城まで 貝塚は、貝殻と生活ごみが一緒に積み重なった場所です。ここの会峴里貝塚は1963年に史跡に指定され、20…

城郭・要塞
김해시
金海(キメ)市街の東にある盆城山(プンソンサン)の山頂を、全長約900mの石垣が取り巻いています。城壁の上に立つと、金海の市街地や金海平野、洛東江の下流が一望でき、晴れた日には南海の海まで見えます。入場料なしでいつでも歩ける城郭の道なので、夕暮れの夕焼けを見に来る人が大勢います。 伽耶の山、倭寇を防いだ城 盆山城は、山頂部を帯のように巡る「テメ式」の山城です。築かれた時期ははっきりしませんが、三国時代とみられており、周辺に伽耶の古墳や首露王妃陵、伽耶の建国神話が宿る亀旨峰(…

史跡
김해시
金海の市街地のど真ん中に、広い芝生と松林に囲まれた丸い墳丘があります。首露王陵は、伽耶連盟のひとつ、金官伽耶(駕洛国)を建国した首露王の墓と伝わる場所です。金海金氏の始祖の墓でもあるため、いまも春と秋に祭礼が続けられており、市民にとっては散歩にぴったりな都市公園です。 歴史:卵から生まれた王の墓 『三国遺事』の「駕洛国記」によると、首露王は西暦42年に駕洛国の初代王となり、48年に海を渡ってアユタ国から来た王女許黄玉を王妃に迎えました。この墓は納陵(ナムヌン)とも呼ばれます…

史跡
김해시
金海市亀山洞(クサンドン)の丘の上の松林に、丸い墳丘がひとつ静かに座っています。首露王妃陵は、金官伽耶を建国した首露王の王妃許黄玉の墓と伝わる場所で、『三国遺事』には、彼女がインドのアユタ国の王女として海を渡ってきて王妃になったと記されています。古代の朝鮮半島と遠い海の向こうを結ぶこの物語のおかげで、小さな墓ながら訪れる人が絶えません。 歴史と伝説 『三国遺事』の「駕洛国記」によると、王妃の姓は許、名は黄玉で、16歳のときに船で渡ってきて、首露王と結婚しました。何人もの王子…

自然
남해군
南海の昌善島(チャンソンド)、加仁里の海辺の平らな岩には、約1億年前の白亜紀の恐竜や翼竜、鳥、トカゲが通った足跡がそのまま刻まれています。これまでに確認された恐竜の足跡だけで1,500点を超え、肉食恐竜1頭が残した足跡57個が最大52mにわたって一列に続いています。潮が引いた岩場を歩きながら、足跡をひとつずつ探せる野外の化石産地です。 村人の通報から天然記念物へ この化石産地は、村の住民が岩に刻まれた不思議な跡を通報したことで、初めて知られるようになりました。1997年に晋…

古い街並み・広場
남해군
南海島(ナメド)の南の端、雪屹山(ソルフルサン)と鷹峰山(ウンボンサン)が海へまっすぐ落ちる斜面に、100段あまりの田んぼが階段のように幾重にも積み重なっています。わずかな土地でも耕そうと山の斜面を削ってつくった棚田が海と接する風景のおかげで、加川(カチョン)村は2005年に国の名勝に指定されました。田んぼのあいだの道を伝って海辺の丸石の海岸まで下りていくと、この村の人々が土地と海に頼って暮らしてきた姿が、そのまま見えてきます。 山の斜面に刻まれた田んぼ 棚田(ダラギ)は、…

寺院・教会
남해군
菩提庵は、南海(ナメ)の錦山の頂上近く、奇岩怪石に囲まれた断崖にある庵です。襄陽の洛山寺・紅蓮庵、江華の普門寺とともに、韓国の三大観音祈祷所に数えられ、祈りに訪れる人が絶えません。お堂の前庭に立つと、閑麗海上国立公園の島々と海が足元に広がります。日の出の名所としても名高い場所です。 歴史:普光山が錦山になるまで 伝承によると、683年(神文王3年)に元暁(ウォニョ)大師がここに草堂を建てて修行し、観世音菩薩に出会ったあと、山の名を普光山、草堂の名を普光寺としました。のちに李…

古い街並み・広場
남해군
南海の海辺の丘に、白い壁とオレンジ色の屋根の家々が集まっています。南海ドイツ村は、外観だけを見るとヨーロッパ風のテーマ村のようですが、実は1960~70年代に西ドイツへ働きに出た韓国人の鉱夫や看護師たちが、老後を過ごすために帰国して作った村です。一軒一軒の家に、何十年もの移住の物語が詰まっています。 歴史:ドイツから帰ってきた人々の村 1960~70年代の韓国は、多くの看護師と鉱夫を西ドイツに派遣し、契約が終わった後もドイツに残った人が少なくありませんでした。南海郡は199…

寺院・教会
남해군
南海(ナメ)の虎丘山(ホグサン)の麓にある龍門寺は、南海郡で最も古いお寺とされています。今の場所に移ってきた経緯が独特で、1660年、南海郷校(ヒャンギョ)の儒生たちが、郷校の正門の向かいにお寺があるという理由で、移転を求めたためです。そうして落ち着いた山あいで、宝物に指定された大雄殿と、高さ8mを超える掛仏幀(かけぶつてい)、壬辰倭乱の僧兵の痕跡をあわせて見られます。 普光寺から龍門寺へ お寺の歴史は、元暁(ウォンヒョ)が錦山(クムサン)に建てた普光寺に始まります。龍門寺…

海岸・島
남해군
慶尚南道の南端の海に浮かぶ南海島(ナメド)は、面積301㎢で、韓国で5番目に大きい島です。南海郡の本島で、隣の昌善島(チャンソンド)とともに南海郡を成しています。島ですが、船に乗る必要はありません。河東(ハドン)と島の間にある露梁海峡に架かる橋を、車で渡って入ります。山の斜面に沿って海まで段々に下りていく田んぼ、潮の流れを利用してカタクチイワシを獲る竹の仕掛け、壬辰倭乱の最後の海が、ひとつの島に集まっています。 橋でつながった島 1973年6月に露梁海峡に南海大橋が架けられ…

寺院・教会
사천시
泗川(サチョン)の鳳鳴山(ポンミョンサン)の東の麓、松林の道の先にある多率寺(タソルサ)は、新羅の時代に最初に建てられたと伝わる古い寺です。寺の裏の丘には緑茶畑が段々に広がり、日本統治時代には韓龍雲(ハン・ヨンウン)が滞在して独立運動家たちと会い、小説家の金東里(キム・ドンニ)が代表作「等身仏」をここで完成させました。大きな観光寺院のにぎわいとは無縁で、茶畑と近代史の話を一緒に味わえる場所です。 何度も焼けて、また建った寺 寺の記録は、503年に僧・縁起(ヨンギ)が建てた霊…

寺院・教会
밀양시
密陽(ミリャン)・三浪津(サムナンジン)の万魚山の中腹、黒っぽい岩の塊が川のように700m以上も流れ下るガレ場の上に建つ寺です。東海の龍王の息子について来た魚の群れが石になったという伝説から、これらの岩を万魚石(マノソク)、つまり「万匹の魚の石」と呼び、いくつかの石は叩くと金属のように澄んだ音で響きます。氷谷(オルムゴル)、表忠碑閣(ピョチュンビガク)とともに、密陽の三大神秘に数えられる場所です。 首露王が建てたという寺 万魚寺は、46年に金官伽耶を建てた首露王(スロワン)…