慶尚北道の観光スポット101か所(Park1538 POSCO歴史博物館、嘉室聖堂(カシルソンダン)、慶山…

博物館・美術館
포항시
浦項市南区のPOSCO本社の隣にあるPark1538は、POSCOと浦項の成長の物語を集めた企業の歴史公園です。名前の中の1538は、鉄が溶ける温度1,538℃を意味します。迎日湾(ヨンイルマン)の砂浜に製鉄所を建てていた時代の記録を紹介する歴史博物館を中心に、広報館と名誉の殿堂、水辺の公園が続いていて、施設の見学は無料です。韓国の産業化の一場面を、リアルに感じられる場所です。 砂浜から製鉄所へ POSCO(旧・浦項総合製鉄)は、1968年に創立しました。迎日湾の海辺の砂浜…

寺院・教会
칠곡군
洛東江(ナクトンガン)を見下ろす漆谷(チルゴク)・倭館(ウェグァン)の丘の上に、赤レンガの嘉室聖堂(カシルソンダン)が立っています。1895年に主任司祭区が設けられた慶尚道の古い聖堂で、今の建物は1924年に献堂され、2024年に100周年を迎えました。朝鮮戦争のとき、洛東江戦線のただなかで、北朝鮮軍、国軍、米軍が順に野戦病院として使った聖堂です。 慶尚道北部の母なる聖堂 嘉室教会は、1895年に朝鮮教区の11番目の主任司祭区として設立されました。パリ外邦宣教会所属の神父が…

寺院・教会
경산시
八公山(パルゴンサン)の南側、冠峰(クァンボン)の頂上で、屏風のような岩を背に、石の笠をかぶった仏様が座っています。正式名称は慶山 八公山冠峰石造如来坐像で、一般にはカッパウィ(笠岩)と呼ばれます。この仏像を所有し、管理しているお寺が、山の麓の禅本寺です。「心をこめて祈れば、願いごとをひとつはかなえてくれる」という言い伝えのおかげで、四季を通じて参拝客が絶えません。 歴史:母のために刻まれた仏様 禅本寺は、491年に極達(クッタル)和尚が建てたと伝わります。カッパウィの仏様…

寺院・教会
경산시
八公山(パルゴンサン)の東の麓、慶山(キョンサン)市河陽邑(ハヤンウプ)沙器里(サギリ)の谷の奥に環城寺があります。山が城のようにお寺をぐるりと囲んでいることから、輪を意味する「環」の字を使って環城寺と呼ばれています。宝物の大雄殿とその中の華やかな須弥壇、池のほとりの楼閣水月館(スウォルグァン)が静かに調和したお寺で、春の八重桜の季節にとくに多くの人が訪れます。 千年を受け継いできたお寺 環城寺は、新羅の興徳王10年(835年)に沈地王師(シムジワンサ)がはじめて建てたと伝…

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)の市街地から東海(トンヘ)に向かって車を走らせると、野原の果ての丘の下に、巨大な石塔が2基並んで立っています。寺の建物はすべて失われ礎石だけが残っていますが、この跡地には、死んでもなお国を守ろうとした一人の王の物語がそのまま込められています。感恩寺(カムンサ)という名前は、父の恩に感謝するという意味です。 歴史:海の龍になった王 三国を統一した文武王(ムンムワン)は、仏の力で倭寇を防ごうと、東海の近くに寺を建て始めました。王は、自分が死んだら海の龍となって…

史跡
경주시
瞻星台(チョムソンデ)と月城(ウォルソン)の間、エノキやケヤキが生い茂る小さな森が鶏林(ケリム)です。慶州金氏の始祖金閼智(キム・アルジ)が、金色の櫃(ひつ)の中から見つかったという物語が宿る場所で、かつては新羅という国を指す名前にまで使われました。慶州市内の遺跡を歩いて回っていると自然に通ることになる森なので、少し立ち止まって物語を知ってから見ると、ぐっと楽しくなります。 ニワトリの鳴き声と金の櫃の話 伝説によると、脱解王(タレワン)の時代、王が都城の西の森でニワトリの鳴…

寺院・教会
경주시
穴だらけの黄色い岩の断崖に階段と手すりが張りつき、そのいちばん高い所で、仏さまが東海のほうを見つめています。骨窟寺(コルグルサ)は、慶州の含月山のふもとにある石窟寺院です。数十メートルの高さの凝灰岩の断崖に12の石窟が開けられていて、今では仏教武芸禅武道(ソンムド)の総本山としてのほうが有名で、「韓国の少林寺」というあだ名がつきました。 歴史:インドから来た人々が開いた石窟 約1,500年前、インドから来た光有(クァンユ)仙人の一行が含月山に腰を据え、骨窟寺と隣の祇林寺(キ…

古い街並み・広場
경주시
慶州の月城(ウォルソン)と南川(ナムチョン)の間、瓦屋根の家が低く連なる韓屋の村です。校村村は、新羅の国立教育機関があった場所に郷校(ヒャンギョ)が受け継がれてきた村で、名前も「郷校のある村」という意味です。慶州・崔富者家(チェブジャテク)の古民家と慶州郷校、伝統酒の校洞法酒(キョドンポプチュ)がここにあり、復元された月精橋(ウォルジョンギョ)とすぐ隣り合っています。 歴史:国学から郷校まで この場所には、新羅の神文王2年の682年、新羅初の国立教育機関国学が建てられたと伝…

史跡
경주시
慶州市内から仏国寺へ向かう道の途中、北側の低い丘のふもとに、四角い墓がひとつあります。丸い墳丘がほとんどの新羅の墓のなかで唯一の四角い墓(方形墳)なので、慶州で古墳をいくつも見てきた人ほど目が留まる場所です。墓のまわりの護石には、鎧をまとった十二支神像が刻まれています。 どんな墓? 統一新羅時代の墓で、一辺約9.5m、高さ約2mの正方形の墳丘です。墳丘の下には、よく整えた長い石を3段に積んで周囲をつくり、各面に十二支神像を刻んだ支え石を3つずつ立てています。墓の内部は、横か…

史跡
경주시
1921年9月、慶州市内の路西洞(ノソドン)で家を建てていた人が、庭をならそうと近くの丘の土を掘って運びました。その土の中から子どもたちがビーズを拾って遊んでいるのを見た警察が丘を調べると、そこは古墳でした。こうして世に出たのが、新羅の金冠として初めて発見された金冠で、古墳には金冠塚という名がつきました。今は、墓の内部構造をのぞける展示館として生まれ変わっています。 わずか4日で終わった発掘 墓の主は、頭に金冠をかぶり、金の耳飾り、首飾り、金の帯、金の腕輪、金の指輪を身に着…

寺院・教会
경주시
慶州の東、含月山(ハムォルサン)の麓、東海の海からそう遠くない森の中に祇林寺があります。かつては仏国寺(プルグクサ)がこの寺の末寺だった時代があるほど、一時は慶州一帯で最も大きな寺でしたが、交通が不便なため、今ではぐっと静かな山寺として残っています。丹青の色あせた大寂光殿と五点の宝物、そして五つの味の泉の話が、この寺を訪れる理由です。 歴史:インドの僧が建て、元暁が育てた寺 祇林寺は、新羅の時代にインドの僧光有(クァンユ)が建てて林井寺(イムジョンサ)と呼び、元暁(ウォニョ…

史跡
경주시
松林に囲まれた稜線の上、丸い墳丘の下をぐるりと一周してみると、12の動物の頭をした守護神たちが、みな同じ方向に顔を向けています。慶州金庾信墓は、新羅の三国統一を導いた将軍金庾信(キム・ユシン、595〜673)の墓と伝わる場所で、臣下の墓でありながら、王陵に匹敵する規模と装飾を備えています。 歴史:王のように葬られた将軍 金庾信は、新羅に降伏した金官伽倻(クムグァンカヤ)の王族の子孫です。金春秋(キム・チュンチュ、のちの太宗武烈王)と婚姻で結ばれて政治的な足場を築き、660年…

史跡
경주시
慶州の五陵(オルン)から南東へ1kmほど、松林に囲まれた芝生の広場が蘿井(ナジョン)です。新羅を建国した朴赫居世が卵から生まれたと伝わる井戸のあった場所で、長いあいだ伝説の場所としか考えられていませんでした。ところが2000年代の発掘で、実際の井戸の跡と大きな八角形の建物跡が見つかり、新羅がここを国の始まりを称える神聖な場所として祀っていたことがわかりました。 白い馬と赤い卵の伝説 新羅が建国される前、慶州一帯は6人の村長が分けて治めていたといわれます。ある日、高墟村(コホ…

山
경주시
松林の道を登っていくと、岩のあちこちに仏様が座っています。岩に浅く刻まれたものもあれば、頭を失ったまま座っているものもあります。慶州南山(キョンジュ・ナムサン)は、新羅の千年を通じて最も神聖とされてきた山で、谷ごとに寺院跡100か所あまり、石仏80体あまり、石塔60基あまりが点在しています。そのため、山全体が「屋根のない博物館」と呼ばれています。 歴史:新羅が始まり、終わった山 南山は、北の金鰲峰(クモボン、468m)と南の高位峰(コウィボン、494m)の2つの峰を中心に、…

自然
경주시
慶州(キョンジュ)の西、西面(ソミョン)の道里村(ドリマウル)の前には、イチョウがぎっしりと並び立ち、晩秋になると森全体が黄色く染まります。自然林でも公園でもないこの森は、もともと苗木として売るために植えた木が育った結果です。新羅の遺跡であふれる慶州で、まったく違う顔を見せてくれる秋の名所です。 売れなかった苗木がつくった森 このイチョウは、ある個人が苗木として育てて売る目的で、数十年前から育てていた私有地の木です。販路が途絶えてそのまま育ち、今の森になりました。苗木用にご…

史跡
경주시
玉山書院(オクサンソウォン)から紫渓川(チャゲチョン)に沿って谷を少し上ると、土塀の向こうに、500年近く一族が守り続けてきた古い邸宅が現れます。朝鮮性理学の先駆者である晦斎・李彦迪(イ・オンジョク)が官職を辞して下り、「ひとりで楽しむ」という意味の名前をつけた離れ座敷、独楽堂(獨樂堂)です。塀に開けた窓から小川を眺め、岩の上に東屋をのせたこの家は、人が自然をどのように家の中へ招き入れたかを教えてくれます。 李彦迪がひとり暮らした家 李彦迪(1491〜1553年)は良洞村(…

宮殿
경주시
慶州 東宮と月池(トングンとウォルチ)は、新羅が三国を統一した直後に造られた王宮の別宮跡と人工池です。日が暮れると復元された殿閣に明かりが灯り、その姿が池の上にそのまま映って、慶州の夜景の名所の筆頭に挙げられます。長いあいだ「雁鴨池(アナプチ)」という名前で呼ばれてきましたが、発掘によって、新羅時代の名前が「月池」だったことがわかりました。 歴史:文武王の池 『三国史記』には、文武王14年の674年に宮の中に池を掘り、山をつくって花や木を植え、珍しい鳥や獣を飼ったという記録…

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)の狼山(ナンサン)の麓、広い草地に、礎石と2本の石柱だけが残る寺跡があります。望徳寺跡は、新羅が唐の使臣の目をごまかすために建てたという話が伝わる寺の跡で、道を一本挟んで四天王寺跡と向かい合っています。建物は消えましたが、統一新羅の寺院に典型的な伽藍配置を、地面の上でそのまま読み取れる場所です。 唐をだますために建てた寺 『三国遺事』に載る話はこうです。679年(文武王19年)、唐が新羅を攻めようとすると、新羅は仏の力でこれを防ごうと、狼山の下に四天王寺を…

史跡
경주시
慶州の西、仙桃山(ソンドサン)のふもとにある武烈王陵は、三国統一の基礎を築いた新羅第29代太宗武烈王・金春秋(キム・チュンチュ)の墓です。新羅の王陵の中で、墓の主がはっきり分かっている数少ない陵で、その根拠となった太宗武烈王陵碑(国宝)の亀の台座は、新羅の石造彫刻の傑作とされています。陵の裏には、大きな古墳が4基、丘に沿って続いています。 金春秋、最初の真骨出身の王 金春秋は、真徳女王の次に王位についた初めての真骨出身の王です。即位前から高句麗や唐を自ら行き来して外交手腕を…

史跡
경주시
慶州文武大王陵は、慶州市文武大王面(ムンムデワンミョン)の烽吉里海岸から約200m離れた海上の岩礁です。三国統一を成し遂げた新羅の第30代・文武王(在位661〜681)が眠っていると伝わる場所で、海の中につくられた王陵という点で、ほかではなかなか見られない遺跡です。遠くから見ると普通の岩礁のようですが、そこに込められた物語を知ってから眺めると、海岸の風景がまるで違って見えてきます。 歴史:龍になって海を守るという遺言 『三国史記』によると、文武王は亡くなるにあたり、仏教式に…

自然
경주시
慶州(キョンジュ)市街の東、明活山(ミョンファルサン)の古い城跡の下には、広々とした湖を中心につくられた観光団地が広がっています。普門湖は、普門観光団地のまんなかにある人造湖で、湖畔を1周する散策路と、春の桜で知られています。遺跡めぐりが中心の慶州旅行のあいだに、開けた水辺でひと息つくのにぴったりです。 歴史:国がつくった観光団地 普門観光団地は、慶州の歴史・文化資源を観光産業につなげるための国家事業として始まりました。1971年8月に政府が慶州観光開発計画を確定し、197…

寺院・教会
경주시
慶州(キョンジュ)の皇龍寺跡の隣、小さなお寺の境内に、黒いレンガの塔のように見える塔が立っています。近づいてみると、レンガではなく、石を一つひとつレンガの形に削って積んだものだと分かります。芬皇寺の模磚石塔(もせんせきとう)は、現存する新羅の石塔のなかで最も古い塔です。寺は小さいですが、新羅仏教がいちばん輝いていた時代を今に伝えています。 歴史:女王の寺、元暁の寺 芬皇寺は、善徳女王3年の634年に完成したお寺です。「芬皇」は「香り高い王」という意味で、善徳女王を指すと解釈…

史跡
경주시
慶州(キョンジュ)南山(ナムサン)の東のふもと、村の中に、蓮の葉に覆われたこぢんまりとした池があります。名前は「書(手紙)が出た池」という意味の書出池(ソチュルジ)。新羅の炤知王(ソジワン)が、この池から出てきた一通の手紙のおかげで命拾いしたという話が、『三国遺事』に記されています。夏になると、池のほとりの百日紅(さるすべり)が薄紅色の花を咲かせ、朝鮮時代の東屋二楽堂(イヨクタン)が水面に映って、慶州でも指折りの夏景色になります。 琴の箱を射よ 『三国遺事』の炤知王の条に伝…

史跡
경주시
慶州市街の東、低い狼山(ナンサン)のふもとの松林の中に、新羅初の女王が眠っています。善徳女王陵は、主がはっきり分かっている数少ない新羅の王陵のひとつで、瞻星台(チョムソンデ)と皇龍寺九層木塔を残した王の墓です。曲がりくねった松の間を歩いて登る道が静かで、大陵苑のにぎわいとはまったく違う慶州に出会えます。 新羅初の女王 善徳女王は、新羅の第27代の王で、632年から647年まで治めました。息子のいなかった真平王(チンピョンワン)の娘で、聖骨だけが王位につけた新羅の独特な身分秩…