全北特別自治道の観光スポット48か所(高敞 支石墓遺跡(コインドルいせき)、高敞 花客プロジェクト(コッゲクプロジェクト)、高敞…

史跡
고창군
全北・高敞(コチャン)の梅山(メサン)マウルの裏、なだらかな山裾に沿って約1.8kmにわたり、440基あまりの支石墓(コインドル)が連なっています。一か所にこれほど多くの支石墓が集まる場所は世界的にも珍しく、碁盤式・卓子式・蓋石式など、韓国で見られる支石墓の形式がほぼすべて揃っているため、「野外の支石墓博物館」と呼ぶにふさわしい場所です。2000年12月に、華順(ファスン)・江華(カンファ)の支石墓遺跡とともにユネスコ世界遺産になりました。 誰が、いつ作ったのか 正式名称は…

庭園・公園
고창군
秋になると、高敞の禅雲山(ソヌンサン)の麓にある農園が、ピンクの霧をかぶったように変わります。花客プロジェクトは、全北特別自治道の民間庭園第1号として紹介される農園型の庭園で、半世紀近く育った庭木の間に、季節ごとに異なる花を植えて育てています。名前のとおり、花を見に来るお客さん、「花客」のために門を開く場所です。 帰農した農家が作った花畑 花客プロジェクトは、両親を支えるために農村に戻った帰農者が、家の庭と農園を花畑に変えたことから始まりました。2019年10月にはすでに1…

自然
고창군
全羅北道(チョルラブクト)の高敞(コチャン)と全羅南道(チョルラナムド)の長城(チャンソン)の境にそびえる文殊山(621m)。その中腹、文殊寺へ向かう最後の道の両側を、数百年を経たカエデがびっしりと覆っています。高敞 文殊寺のカエデ林には、樹齢100〜400年と推定されるカエデが約500本生えており、長くお寺の森として守られてきたことから2005年に天然記念物に指定されました。葉が小さく色の美しい、いわゆる「アギタンプン(小さな紅葉)」が色づく晩秋には、短い山道が一面の赤に…

その他
고창군
春には果てしなく続く緑の麦畑の間を赤い黄土の道がうねり、秋には同じ丘が白いソバの花で覆われます。全羅北道・高敞(コチャン)郡コンウム面のハグォン農場は、収益よりも「見て美しい風景」を先に考えて作物を選ぶ景観農業の農場で、毎年春の青麦畑祭りと秋のソバの花祭りに数十万人が訪れます。2025年の第22回青麦畑祭りには51万人が訪れました。 首相夫妻が切り拓いた山 ハグォン農場は、1960年代初めに元国務総理のチン・ウィジョン氏と夫人のイ・ハク女史が、高敞南西部の未開発の山およそ1…

城郭・要塞
고창군
高敞邑城(コチャンウプソン)は、朝鮮時代に高敞県を守っていた邑城(城壁で囲んだ町)で、自然石を積んだ城壁が全周1,684mにわたってほぼそのまま残っています。城壁の上を一周でき、城内には再建された官衙(役所)の建物と孟宗竹の竹林があります。百済の時代にこの地域を「牟良夫里(モヤンブリ)」と呼んだことから、牟陽城(モヤンソン)という別名でも呼ばれています。 湖南の内陸を守った城 築城の時期は、資料によって朝鮮の端宗元年(1453年)とも、粛宗の時代に完成したともいわれ、はっき…

博物館・美術館
전주시
朝鮮王室のルーツである全州にある国立全州博物館は、全北(チョンブク)の歴史を先史時代から近代まで紹介する国立博物館です。1990年10月26日にオープンし、約4万点の所蔵品のうち2,000点あまりを常設展示しています。一度日本へ渡り、73年ぶりに戻ってきた高麗の銅鐘のように、いわれのある遺物がたくさんあります。 歴史:全北の文化遺産の保管所 博物館は、全北地域の文化遺産を集めて研究し、展示するために建てられた、国立中央博物館に属する機関です。2002年に教育館をオープンし、…

古い街並み・広場
군산시
群山の内港に沿った海望路には、100年あまり前の銀行や税関の建物が並んで立っています。1899年の開港後、湖南平野の米が日本へ積み出される港だった群山には、その時代の建物が際立って多く残っています。博物館と旧銀行、軍艦の展示館が歩いて数分の範囲にまとまっているので、半日あれば群山の近代史を一本の線でたどれます。 米が出ていった港 群山港は、1899年に大韓帝国が開いた開港場です。旧群山税関を中心にいくつもの国の居留地ができ、日本の植民地時代には、湖南平野で集めた米を日本へ運…

海岸・島
군산시
海の上に、白い岩の峰がぬっと突き出しています。望主峰(マンジュボン)です。その前には美しい砂浜が長く続き、日暮れどきには海が赤く染まります。仙遊島(ソニュド)は「仙人が遊んだ島」という意味で、16の有人島と47の無人島からなる古群山群島(コグンサングンド)の中心の島です。長いあいだ船でしか行けませんでしたが、今ではセマングム防潮堤から車でそのまま入れます。 歴史:もとの名前は群山島 仙遊島のもとの名前は群山島(クンサンド)でした。高麗時代、ここは高麗と宋をつなぐ航路の寄港地…

史跡
군산시
群山(クンサン)旧市街の南西側、住宅街の路地の奥に、日本統治時代に日本人地主が暮らした2階建ての木造邸宅がほぼそのまま残っています。広津家屋(ヒロツ)とも呼ばれる群山 新興洞の日本式家屋です。手入れの行き届いた日本庭園、畳の部屋、金庫棟まで備えたこの家は、米を積み出す港町だった群山で日本人の上流層がどのように暮らしていたかを今に伝えています。映画『チャングンエ・アドゥル』(将軍の息子)や『タチャ』(イカサマ師)のロケ地としても知られています。 歴史:誰が建てた家? 家を建て…

寺院・教会
진안군
馬耳山(マイサン)の南側の入口、塔寺(タプサ)へ上がる道の途中にある金堂寺は、多くの人が素通りしてしまうお寺です。けれども、この小さなお寺には高さ9.66mに及ぶ17世紀の掛仏幀(ケブルテン)が伝わり、この掛仏は国の宝物に指定されています。馬耳山の二つの峰を見上げる境内や高麗時代の石塔もあり、塔寺へ向かう途中に30分ほど立ち寄る理由は十分です。 記録が食い違う創建の話 金堂寺は、814年に中国の僧・慧鑑(ヘガム)が建てたと伝えられています。ただ、朝鮮中期の地理書『新増東国輿…

寺院・教会
김제시
金山寺は、全北・金提(キムジェ)の母岳山(モアクサン)の麓にある大きなお寺です。百済の599年ごろに創建されたと伝わり、未来の仏である弥勒を祀る信仰の中心地として名高い寺院です。外から見ると3階建て、内部はひとつに吹き抜けた巨大なお堂弥勒殿と、その中にある高さ11.82mの弥勒仏像は、ほかの寺ではなかなか見られない規模です。 歴史:弥勒信仰の聖地 現存する記録『金山寺事蹟』には、百済の法王が殺生を禁じる法令を出し、翌年に金山寺で僧38人を出家させたと記されています。創建年は…

史跡
김제시
金堤(キムジェ)市街のど真ん中、城山公園の南の斜面に、朝鮮時代の公立学校だった金堤郷校があります。正門の楼閣・萬化楼(マヌァル)、講堂の明倫堂、孔子の祠堂の大成殿が、庭を囲まずに一直線に並ぶ配置が目を引きます。東へ約130mの場所には、郡守の執務室と住まいがともに残る金堤官衙があり、二か所は2007年に「金堤郡官衙と郷校」として、ともに史跡に指定されました。 歴史:1404年に建てられ、1635年に建て直された学校 郷校は、孔子と諸聖賢に祭祀を捧げ、地方の人々を教えた国の教…

庭園・公園
남원시
南原(ナモン)市街にある広寒楼苑(クァンハルルウォン)は、春香(チュニャン)と李夢龍(イ・モンニョン)が初めて出会った場所として知られる、『春香伝』の舞台です。池は天の川を、楼閣は月の宮殿を、池の中の島は仙人が住む山を象徴していて、天上の世界を地上に移した庭園と呼ばれています。中心の建物である広寒楼は、2026年7月に宝物から国宝に昇格しました。 歴史:黄喜の楼閣から国宝へ 広寒楼のはじまりは、朝鮮初期に黄喜(ファンヒ)が南原に流された際に建てた広通楼と伝えられています。そ…

史跡
남원시
南原(ナムォン)市街の西、麒麟山(キリンサン)を背にして南の野原を見下ろす場所に、高麗時代の大寺院萬福寺(マンボクサ)の跡が残っています。寺は1597年の丁酉再乱(慶長の役)で焼失しましたが、宝物に指定された五重石塔と石仏、仏像の台座、幢竿支柱の4点が、今も元の場所を守っています。金時習の小説「萬福寺樗蒲記(マンボクサ・チョポギ)」の舞台でもあります。 高麗の大寺院、戦火に焼ける 萬福寺は、高麗の文宗(在位1046〜1083)の時代に建てたと伝わります。朝鮮時代の地理志には…

寺院・教会
남원시
智異山(チリサン)の山並みを屏風のように背負った南原(ナモン)市山内面(サンネミョン)の野原のど真ん中、田んぼ道の先にお寺が一つあります。韓国のお寺の大半が山深くにあるのとは違い、実相寺(シルサンサ)は平地に建っているので、初めて訪れる人は、このまま進んでいいのかと首をかしげてしまうほどです。この静かなお寺は、新羅末期に韓国の禅宗の門を開いた場所であり、統一新羅の遺物が単独の寺院としては指折りの数で残っている場所でもあります。 歴史:九山禅門の最初の寺 実相寺は、新羅の興徳…

山
정읍시
秋の内蔵山の入口に立つと、道の両側のカエデが頭上で重なり合い、赤いトンネルをつくっています。内蔵山は井邑(チョンウプ)と淳昌(スンチャン)の境にある標高763mの山で、500年以上前から紅葉の名所として知られてきました。紅葉が見頃の日には1日に10万人近くが訪れるほど混雑しますが、その理由は実際に見てみれば納得できます。 歴史と名前:隠されたものの多い山 もともとは、この山の本寺だった霊隠寺(ヨンウンサ)にちなんで霊隠山(ヨンウンサン)と呼ばれていました。その後、「山の中に…

山
완주군
灰色の岩の峰が屏風のように重なり、そのあいだの宙に赤い吊り橋が一本かかっています。大芚山(テドゥンサン)は、忠清南道の論山(ノンサン)市・錦山(クムサン)郡と、全北特別自治道の完州(ワンジュ)郡にまたがる標高878mの岩山です。高くはないのに、ロープウェイと雲橋、鉄の階段のおかげで、短い時間でスリルのある岩稜の景色を楽しめる山で、古くから湖西(ホソ)と湖南(ホナム)を分ける自然の境界でした。 名前と歴史 忠清道の地元の人々はこの山をハンドゥムサンと呼び、大芚山という名はこれ…

山
무주군
冬になると稜線の木々に白い雪の花が咲き、頂上に立てば、重なり合う山並みが四方へ続きます。徳裕山(トギュサン)は、全北の茂朱(ムジュ)・長水(チャンス)と、慶南の居昌(コチャン)・咸陽(ハミャン)にまたがる標高1,614mの山で、韓国南部で4番目に高い山と紹介されています。高い山なのに、ゴンドラを使えば頂上の香積峰(ヒャンジョクポン)まで比較的楽に着くので、初めて冬山に登る人も多く訪れます。 山と国立公園 徳裕山は、朝鮮半島の背骨である白頭大幹(ペクトゥデガン)の上にあります…

山
완주군
全州(チョンジュ)、金堤(キムジェ)、完州(ワンジュ)が出会う場所にそびえる母岳山は、標高793mの山で、広い金堤平野の東の端にぽつんとそびえているため、頂上に登ると湖南平野をひと目で見渡せます。「母なる山」という名前のとおり懐が深く、麓には百済の時代に創建された金山寺(クムサンサ)をはじめ、大小のお寺や数々の信仰共同体が根づいています。全州市内から近く、半日の登山先として人気があります。 名前と歴史:オンモェ、母なる山 母岳(モアク)という名前には、二つの話が伝わっていま…

博物館・美術館
고창군
全北・高敞(コチャン)郡・富安面(プアンミョン)禅雲里(ソヌンニ)、逍遥山(ソヨサン)のふもとの小さな村に、詩人徐廷柱(ソ・ジョンジュ、号は未堂、1915〜2000)を称える未堂詩文学館があります。閉校した分校を改装した文学館で、詩人の自筆原稿や詩集の初版本、手ずれのついた遺品を見られ、数歩離れた場所には復元した生家と、詩人が眠る墓所まであります。「ククァ・ヨペソ(菊の花のそばで)」の詩人が育った風景の中で、彼の詩と人生、そして影の部分まで、あわせて振り返れる場所です。 分…

国立公園
부안군
辺山半島国立公園は、山と海をあわせもつ韓国唯一の半島型国立公園です。内側の「内辺山」には、直笑瀑布や岩の峰、深い谷が続き、外側の「外辺山」には、彩石江・赤壁江のような海岸の断崖や、松林を抱く海辺が広がります。一日のうちに渓谷のハイキングと西海の夕日をどちらも楽しめることが、ここの最大の魅力です。 道立公園から国立公園へ 扶安(プアン)郡・辺山面一帯の山地は、1971年12月に道立公園となり、1988年6月11日に韓国で19番目の国立公園に昇格しました。公園の面積は資料によっ…

寺院・教会
부안군
辺山半島の内辺山の麓にある来蘇寺(ネソサ)は、お寺そのものよりも先に、道の印象が心に残る場所です。一柱門から天王門まで、700本あまりのモミの木が空へ伸びる森の道を抜けると、丹青(タンチョン)が色あせて木目がそのまま現れた大雄宝殿(テウンボジョン)が姿を見せます。花びらを一枚ずつ彫り込んだ格子戸と、本堂の裏壁に描かれた巨大な白衣観音菩薩図が、わざわざこの寺を訪れたくなる理由です。 歴史:百済の寺、朝鮮の再建 来蘇寺は、百済の武王34年にあたる633年に慧丘頭陀(ヘグドゥタ)…

自然
부안군
辺山半島(ピョンサンバンド)の南端、茅項(モハン)集落の裏手にある海辺の丘に、ヒイラギモチ(韓国名ホランガシナム)が50本余り群れをなして育っています。暖かい南の地方に育つこの木が自然に生育できる北限にあたるため、1962年に天然記念物に指定されました。茅項海水浴場から歩いて数分で着くので、海辺の旅の途中にちょっと立ち寄るのにぴったりです。 トラが背中をかく木 ヒイラギモチはモチノキ科の常緑樹です。つやのある葉の先が鋭いとげのように尖っていて、トラが背中をかくのによさそうだ…

史跡
부안군
辺山半島(ピョンサンパンド)の西の端、赤壁江(チョクピョクカン)の崖の上に立つ小さな瓦屋根の家です。西海(黄海)を治める海の女神開陽ハルミ(ケヤンハルミ、おばあさん)と8人の娘を祀った祭堂で、今も毎年旧暦の1月15日(正月大満月)になると、村の人たちが豊漁と航海の安全を祈ります。足元の丘は、3〜7世紀に、百済・伽耶、さらには中国・日本の人々までが海の祭祀を行った竹幕洞遺跡(チュンマクトンユジョク)で、春になると菜の花が丘を黄色に覆います。 海の女神・開陽ハルミ 伝えられると…