松広寺(ソングァンサ)は、全羅南道(チョルラナムド)順天(スンチョン)の曹渓山(チョゲサン)の麓にある、大韓仏教曹渓宗第21教区の本寺です。通度寺(トンドサ、仏宝)、海印寺(ヘインサ、法宝)とともに、韓国の三宝寺刹に数えられ、高麗時代から朝鮮初期にかけて16人の国師を輩出したことから、僧宝寺刹と呼ばれています。渓谷沿いに80棟余りの建物が集まり、木造建築と仏教文化財をゆっくり見て回るのに向いたお寺です。
新羅末期に慧璘(ヘリン)大師が小さなお寺を建て、吉祥寺(キルサンサ)と呼んだのが始まりと伝えられています。高麗の仁宗の時代に寺を広げようとする計画が頓挫した後、50年余り放置されていたお寺は、普照国師 知訥(チヌル)が定慧結社をここに移したことで、再び興りました。知訥は1190年代にお寺を再興し、高麗の熙宗は、寺名を修禅社に、山の名前を松広山から曹渓山に改めました。知訥の後を継いだ真覚国師 慧諶(ヘシム)から朝鮮初期まで、約180年の間に16人の国師がここから出ました。丁酉再乱や6・25戦争(朝鮮戦争)などで大きな被害を受けましたが、再興を重ねて、現在の姿を整えました。
「松広」という名前には、さまざまな話が伝わっています。「松」の字を「十八(木)+公」と読み解き、18人の高僧が出て仏法を広める、という意味だとする説、知訥が母后山(モフサン)で、木を彫ってつくったトンビを飛ばしたところ、今の国師殿の裏の丘に舞い降りて、寺の場所が定まったという説、松が多くて「ソルメ」と呼ばれていたことに由来する説があります。松広寺には、外国人僧侶が修行する国際禅院もあります。山の上の庵・天子庵(チョンジャアム)には、天然記念物に指定された曲がったイブキ(ビャクシン)の木が2本あり、双香樹と呼ばれています。
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