和順(ファスン)の梨陽面(イヤンミョン)の静かな山あいにたたずむ千年の古刹で、三層の木塔のような独特の大雄殿と、国宝の澈鑑禅師塔(チョルガムソンサタプ)で知られるお寺です。統一新羅の僧塔のなかでも屈指の傑作とされる澈鑑禅師塔は、石を木のように扱った繊細な彫刻で有名です。お寺は小さいですが、大雄殿と僧塔だけでも、わざわざ訪ねる理由が十分にあります。
雙峰寺(サンボンサ)がいつ最初に建てられたかは、はっきりしていません。谷城(コクソン)の泰安寺(テアンサ)にある慧徹和尚(ヘチョル)の塔碑に、839年に慧徹が唐から帰国して雙峰寺で夏を過ごしたという記録があることから、それ以前からあったとみられています。寺が大きく栄えたのは、新羅の僧・道允(トユン)のおかげです。彼は825年に唐へ渡って20年以上修行し、847年に帰国しました。ここにとどまり、自らの号である「雙峰」にちなんで寺の名をつけました。868年に彼がこの寺で入寂すると、景文王は「澈鑑」という諡号を贈り、塔と碑を建てさせました。
高麗時代には、武臣政権の執権者・崔沆(チェ・ハン)がこの寺の住職を務めたほど、勢力が大きかったそうです。しかし1597年の丁酉再乱(慶長の役)で建物の大半が焼け、朝鮮戦争でも大きな被害を受けました。2014年には、雙峰寺が全羅南道の記念物に指定されました。
雙峰寺の大雄殿は、正面も側面も一間の正方形の建物の上に、屋根が三重に重なった、三層木塔の形式の法堂です。1層と2層の屋根は寄棟造り、3層は入母屋造りで、長く伸びた軒を支えるため、組物を密に組んだ多包式で建てられています。頂上の装飾がないため、厳密には塔とは言いにくいものの、報恩(ポウン)の法住寺(ポプジュサ)の捌相殿(パルサンジョン)とともに、韓国の木塔の姿を伝える貴重な例とされています。修理の際に見つかった上梁文から、1724年に3度目の再建をされた建物だったことが分かりました。しかし1984年4月3日に火災で焼失し、宝物の指定が解除され、今の建物は1986年に昔の姿どおりに再建したものです。堂内には釈迦牟尼仏とともに、弟子の阿難と迦葉が祀られています。
大雄殿の裏手、西側の丘に、澈鑑禅師の舎利を納めた僧塔があります。