泰安寺(テアンサ)は、谷城(コクソン)の竹谷面(チュッコンミョン)、桐裡山(トンニサン)の深い谷にあるお寺で、統一新羅の時代に禅宗を教えた九山禅門のひとつ、桐裡山門(トンニサンムン)の中心の寺院でした。寺の入口から境内まで約1.8km、渓谷に沿って歩く森の道が美しく、水の流れの上にまたがる楼閣凌波閣(ヌンパガク)は、この寺の顔のような建物です。宝物に指定された僧塔と塔碑、梵鐘がいくつも残っていて、見どころも充実しています。
寺は、統一新羅の景徳王元年(742年)に、名もわからない僧侶3人が建てたと伝えられています。最初の名前は大安寺でした。847年、寂忍禅師・慧哲(ヘチョル、785〜861)がここで桐裡山門を開き、禅宗の寺として名をはせました。高麗の初めには、慧哲の跡を継いだ広慈大師・允多(ユンダ、864〜945)が寺を大きく広げ、このときの規模は資料によって110間または132間にも達したといいます。このころは、松広寺(ソングァンサ)と華厳寺(ファオムサ)も泰安寺の末寺だったという記録があります。
1223年には、当時の執権者・崔瑀(チェ・ウ)が寺を建て直し、朝鮮の初めには太宗の次男・孝寧大君(ヒョリョンデグン)が滞在したこともあります。朝鮮戦争で大雄殿をはじめとする建物15棟が焼け、今の建物の大半は、その後に再建されたものです。1925年にここを訪れた崔南善(チェ・ナムソン)は、泰安寺を新羅以来の名刹であり、この地で最初に生まれた禅宗の寺と見て、はるか昔の神聖な土地のようだと書き残しました。深い谷に隠れた寺の第一印象は、今もそれほど変わりません。