坡州(パジュ)市広灘面(クァンタンミョン)の高嶺山(コリョンサン)の麓にある普光寺は、英祖(ヨンジョ)の母淑嬪崔氏(スクピン・チェシ)の墓「昭寧園(ソリョンウォン)」を守っていた寺です。英祖が自ら書いたと伝わる大雄宝殿の扁額、母の位牌をまつる御室閣(オシルガク)、その前に立つ樹齢300年を超えるビャクシン(香木)など、王室ゆかりの痕跡があちこちに残っています。大雄宝殿の外壁をぐるりと飾る板壁画は、ほかの寺ではなかなか見られない見どころです。
普光寺は、新羅の真聖女王の時代、894年に道詵(トソン)が王命を受け、国の気運を助ける裨補寺刹(ピボサチャル)として建てたと伝えられています。高麗時代の1215年と1388年に大きく建て直され、壬辰倭乱(じんしんわらん)ですべて焼けたあと、1622年に再建されました。1634年には300斤の梵鐘が完成し、この銅鐘は現在宝物に指定されています。
寺の運命が大きく変わったのは1740年(英祖16年)です。近くにあった淑嬪崔氏の墓「昭寧園」の冥福を祈る寺となり、大雄宝殿と観音殿を修理して、万歳楼を新たに建てました。淑嬪崔氏は宮中の下働き(ムスリ)の出身といわれる人物で、息子の英祖が母を偲ぶことにひとかたならぬ心を尽くしたことで知られています。王室との縁はその後も続き、1898年には高宗の側室・貴人嚴氏(オムシ)と女官たちの後援により、大雄宝殿が再び修理されました。朝鮮戦争で一部の建物が焼けましたが、1957年と1973年に復元されました。