議政府駅に近い住宅街に、ツタに覆われた小さな石造りの聖堂が立っています。朝鮮戦争の休戦間近の1953年、議政府に駐留していた米軍のカトリック信者の献金で建てられた建物で、いまはカトリック議政府教区の司教座聖堂の敷地内に「史跡聖堂」として保存されています。戦争直後の聖堂建築がどんなものだったのかを、間近で見られる場所です。
この教会のルーツは、楊州(ヤンジュ)一帯にあった昔の信者の集落「公所(コンソ)」にさかのぼり、1930年代に楊州の徳亭里(トクチョンニ)に建てられた聖堂へと続きます。1945年に主任司祭座を議政府へ移した際、韓屋(ハノク)一棟を改装して仮の聖堂にしましたが、この建物は朝鮮戦争で焼けてしまいました。戦争が終わりに近づくころ、李啓光(イ・ゲグァン、ヨハネ)神父が、当時議政府に駐留していた米第1軍団の従軍司祭ロゼスキ神父の助けを得て新しい聖堂を建て、1953年8月に献堂しました。建築費は米第1軍団のカトリック信者の献金でまかなわれ、そのことは聖堂入口の銘板にいまも残っています。
当時の聖堂はほとんどが赤レンガ造りでしたが、ここは楊州の檜泉面(フェチョンミョン)徳亭里の石山から切り出した花崗岩で積まれています。費用を計算すると、レンガより石のほうが安かったという証言が伝わっています。議政府一帯で働いていた石工たちが石を整え、同じころに建てられた楊州郡庁舎にも同じ腕前が見られるといわれます。内部の柱列がなくなるなど簡素化されましたが、鐘楼と正面は古典的な聖堂の姿を守っていて、戦後に「城塞のように堅固な教会」を目指した時代の特徴を示しています。この建物は京畿道文化遺産資料第99号(旧・京畿道文化財資料)に指定されています。
議政府聖堂は、議政府、楊州、東豆川(トンドゥチョン)一帯の複数の小教区が分かれて生まれた母教会と呼ばれています。1957年には、当時のソウル大教区で初めての信心団体レジオ・マリエがここで結成されました。戦争直後に米軍の信者の助けで立ち上がった小さな石の聖堂が、半世紀後に新しい教区の司教座になったことになります。
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