浦項(ポハン)の九龍浦港の裏手の路地には、1920〜30年代に日本人の漁業移住者たちが建てた2階建ての木造家屋が、今も軒を連ねています。格子窓に白い漆喰の壁、瓦屋根が続くこの通りは、日本統治時代の東海岸の漁業の裏側を伝える生活の遺跡です。通りの真ん中にある旧・橋本善吉(ハシモト ゼンキチ)邸は九龍浦近代文化歴史館として整備され、家の中まで入って見学できます。
1883年に朝鮮と日本が通商章程を結んだのち、日本の漁民が東海岸へ渡ってくるようになりました。1920年代に日本が九龍浦に防波堤を築いて港を大規模に開発すると、多くの日本人漁師がそのままここに定住しました。彼らは最初、人が住んでいなかった北東の山の斜面に居を構えましたが、港を築き、砂浜を埋め立てた土地に、今の通りをつくりました。漁の収入が増えるにつれて料亭や商店、学校までできましたが、同じ時期、朝鮮の漁民は漁業権を奪われる立場にありました。
1945年の光復(解放)とともに日本人は去り、残った家には韓国人が住み、手を入れたり取り壊したりしてきました。浦項市は2010年に橋本邸を買い取って復元し、2013年12月には九龍浦里一帯の457mを近代歴史文化通りとして整備して公開しました。残っている日本式建物の数は、資料によって47棟または80棟あまりと異なります。
階段の両脇の石柱には、もともと九龍浦の日本人有力者たちの名前が刻まれていました。光復後、住民たちは名前を削り、柱を裏返して立て直したため、今は文字のない面が階段のほうを向いています。丘の上の神社も取り壊され、その跡には、浦項出身の戦没者を追悼する忠魂塔と忠魂閣が建てられました。防波堤工事を称えていた日本人の頌徳碑はセメントで覆われましたが、これについて地元では、痛みを伴う歴史も消さずに教育資料として残すべきだという声も上がりました。