浦項(ポハン)の雲梯山(ウンジェサン)の東麓、貯水池のほとりにぴったり寄り添うように建つお寺です。新羅の真平王(チンピョンワン)の時代に最初に建てられたと伝えられ、元暁(ウォニョ)と恵空(ヘゴン)という二人の高僧が魚をめぐって冗談を交わしたという『三国遺事』の話から、「わたしの魚」という意味の名前吾魚寺(オオサ)が生まれました。寺の前の吾魚池(オオジ)の周遊路と、崖の上の庵まで巡れば、半日はあっという間に過ぎてしまいます。
創建当時の名前は恒沙寺(ハンササ)でした。慈蔵律師(チャジャンユルサ)が建てたと伝えられ、恵空と元暁がここで修行したという記録が残っています。『三国遺事』によると、恵空が晩年に恒沙寺に住んでいたとき、元暁がたびたび訪ねてきて、経典について尋ね、ともに過ごしました。ある日、二人が小川で魚とエビをとって食べたあと、恵空は、元暁が岩の上にした大便を指さして、「そなたがした糞は、わたしの魚(汝屎吾魚)」とからかったそうです。
この話は、時が経つにつれて少し違う形で伝わりました。二人の僧が食べた魚を生き返らせる賭けをして、生きて泳いでいった一匹をめぐって、互いに「わたしの魚」と言い張った、というものです。どちらにしても、寺の名前の「吾」は「わたし」、「魚」は「魚」を意味します。
寺の前の吾魚池は、1961年に谷をせき止めてつくった農業用の貯水池です。周囲に沿って約7kmの森の道が続いており(資料によっては7.7km)、水辺に沿って一周するのにぴったりです。寺の前には、貯水池を横切る吊り橋が架かっています。