光陽(クァンヤン)の白鶏山(ペッケサン)の南の麓、いまは礎石だけが残るお寺の跡地を、椿の木7,000本あまりがぐるりと取り囲んでいます。風水で名高い新羅末期の僧侶道詵国師(トソングクサ)が、お寺を建てるときに弱い土地の気運を補おうと植えたと伝えられる森です。早春になると、濃い緑の葉の間に赤い花が咲き、散った花が森の地面を赤く覆います。
玉龍寺(オンニョンサ)は、白雲山(1,218m)の一筋である白鶏山(505m)の南にあったお寺です。8世紀初めの統一新羅の時代に建てられたと伝えられ、先覚国師道詵(トソン)が864年から898年まで35年間とどまり、数百人の弟子を育てて、ここで入寂しました。道詵は、土地の形勢で国や町の運勢を読み解く風水地理の始祖とされる人物です。
お寺の跡地には、おもしろい伝説があります。もともとここは、9匹の龍が棲む大きな池でしたが、道詵が龍たちを追い払い、最後まで粘った白龍は、杖で目をつぶし、池の水を煮え立たせて追い出したのち、炭で土地を固めてお寺を建てたといいます。
お寺は、朝鮮後期に焼けて廃寺となりました。発掘調査では、建物跡と文字が刻まれた碑石の破片90点あまり、そして道詵国師のものとみられる遺骨と棺が出てきました。寺跡は、1998年に史跡光陽 玉龍寺址に指定されました。
玉龍寺の椿の森は、お寺を建てるとき、土地の気運が弱いのを補うために育てたと伝えられています。いまは、樹齢100年を超える椿の木7,000本あまりが、寺跡の周りに広い群落をつくっています。南部地方の寺院の椿の森の本来の姿をよく保っている点が認められ、2007年に天然記念物になりました。実はこの森は、1974年に全羅南道の記念物として先に指定されたのち、1998年に指定が解除され、9年後に国の天然記念物へと一段階上がって、再び保護されることになりました。道詵が弟子たちの修養のために、お寺の周りに茶畑を開いたという話もあわせて伝わっています。
森の道には、木のデッキと石段が続いています。椿の幹はなめらかな灰色で、いくつにも分かれてねじれながら育つので、花のない季節でも、森の中は薄暗く神秘的な雰囲気です。森を抜けると、日の差す広い寺跡が広がります。椿の花は、花びらが一枚ずつ散らず、花ごとぽとりと落ちるので、花の季節には森の地面が、まるごと落ちた赤い花で覆われます。