壬辰倭乱で朝鮮水軍を率いた忠武公 李舜臣(イ・スンシン)を祀る祠です。牙山(アサン)の顕忠祠一帯は、将軍が若い頃を過ごした家の跡でもあるため、肖像画を祀る本殿だけでなく、将軍が暮らした古い家や弓を射た場所、一族の井戸まで、一か所で見られます。入場料はなく、境内も広いので、牙山に立ち寄るなら、半日の散策をかねた歴史の勉強にぴったりです。
将軍が1598年の露梁海戦で戦死したあと、儒生たちが将軍の志をたたえる祠を建てようと朝廷に建議しました。その結果、粛宗の命により1706年に今の場所に祠が建ち、粛宗が下賜した扁額が掲げられました。しかし19世紀後半、興宣大院君の書院撤廃のときに、閉鎖される憂き目にあいました。
日本統治時代には、さらに大きな危機が訪れました。1930年代初め、宗家の借金のために祠に付属する土地が競売にかけられそうになると、このことが新聞に載って全国的な募金運動が起こりました。1931年に結成された忠武公遺跡保存会が集めた寄付金で借金を返し、1932年に祠を建て直しました。解放後の1966〜1974年に政府が一帯を大規模に整備して今の姿になり、1967年には史跡に指定されました。
訪問前に最新情報をご確認ください。