全州市街のまんなか、車と人が行き交う忠敬路(チュンギョンノ)沿いに、大きな瓦屋根の建物が構えています。全州 豊沛之館、一般に全州客舎(チョンジュ・ケクサ)と呼ばれるこの建物は、朝鮮時代に全州を訪れた役人や使臣を迎えて泊めた場所で、国の宝物に指定されています。軒下に掲げられた巨大な扁額が、この建物の名前であり、全州という都市の誇りを示しています。
「客舎」とは、客が泊まる家という意味で、朝鮮時代には村ごとにひとつずつ置かれました。客舎は客をもてなす宿でしたが、それよりも大切な役割がありました。中央の建物である主館には、王を象徴する殿牌(ジョンペ)をまつり、毎月の朔日と望日に、宮殿に向かって礼を捧げました。国に祝い事があれば祝賀の儀式を行い、地方官が新しく赴任すると、まずここに立ち寄って拝礼しました。
全州客舎は、朝鮮初期に全州府城を築いたとき、いっしょに建てられたとみられ、成宗の時代に全州史庫をつくって余った財力で建て直したという記録があります。建物は、王を象徴する殿牌をまつる主館と、客が泊まっていた翼軒(イッホン)からなっています。
全州城の城門の名前にも、豊沛の意味が込められていました。南門は豊南門、西門は沛西門と呼ばれ、今も豊南門が残っています。太祖李成桂が荒山(ファンサン)で倭寇を打ち破って帰る途中で全州に立ち寄り、親戚たちと宴を開いたという梧木台も、歩いて行ける距離です。客舎の裏の路地は、カフェや飲食店が集まる「客里団ギル」と呼ばれ、若い旅行者が多く訪れます。
1900年には、高宗が太祖を称えて梧木台の頂上に碑を建てましたが、碑に刻まれた「太祖高皇帝駐蹕遺址」の文字は、高宗の直筆と伝わっています。客舎の庭の広い板の間は、数十年のあいだ、全州市民の待ち合わせ場所として使われました。毎年5月には、全州豊南祭が開かれます。