大田(テジョン)儒城区(ユソング)校村洞(キョチョンドン)の低い里山のふもとに、1405年、朝鮮の太宗の時代に建てられた地方国立学校が、600年以上たった今も残っています。学問の場である明倫堂が手前に、祭祀を行う大成殿が奥にある、郷校の典型的な配置をそのまま見ることができ、正門の上に楼閣を載せた興学楼(フンハンヌ)が特に独特です。大田の都心で、朝鮮の儒者(ソンビ)の文化を静かに味わえる場所です。
郷校(ヒャンギョ)は、孔子や聖賢を祀り、地方の人々を教えるために国が設けた教育機関です。鎮岑郷校(チンジャムヒャンギョ)は朝鮮の太宗5年(1405年)に最初に建てられ、その後何度も修繕されてきました。朝鮮時代には国から土地や奴婢、書物を与えられ、教授1人が約30人の学生を教えたといわれます。甲午改革の後に教育機能は失われ、現在は春と秋の祭祀と伝統教育プログラムを続けています。
鎮岑郷校は、手前の低い場所に学問の空間を、奥の高い場所に祭祀の空間を置いた前学後廟(チョナクフミョ)の配置です。
郷校は各地の県や郡に一つずつ設けられた学校で、鎮岑郷校は朝鮮時代の鎮岑県の学校でした。郷校のある地名「校村(キョチョン)」も、「郷校の村」という意味です。今では大田の都心が近くまで迫っていますが、郷校の裏の里山と石垣のおかげで、昔の県の学校の雰囲気が残っています。