洛東江(ナクトンガン)の河口が海と接する最南端、松林に覆われた小さな半島が没雲台です。16世紀までは島でしたが、川が運んできた砂が積もって多大浦(タデポ)とつながりました。霧や雲がかかると、島がその中に沈んで見えなくなることから、「雲に沈む台」という名前がつきました。
没雲台はもともと没雲島(モルンド)という島でした。洛東江の上流から押し寄せた土と砂が、島と陸地のあいだの浅い海に積もって砂州をつくり、島が陸とつながった陸繋島(りくけいとう)になりました。済州(チェジュ)の城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)と同じ原理です。没雲台は1972年に釜山広域市の記念物に指定され、現在は釜山国家地質公園の地質名所であり、洛東正脈(ナクトンジョンメク)が終わる場所でもあります。
多大浦と没雲台は、朝鮮時代の国防の要衝でした。1592年の壬辰倭乱(文禄の役)のとき、李舜臣将軍の先鋒将だった**鄭運(チョン・ウン)**が、この沖で日本の船と戦って戦死し、彼をたたえる碑が森の中に残っています。
没雲台の海岸には、白亜紀末に堆積した多大浦層の堆積岩が露出しています。梁山(ヤンサン)断層と東莱(トンネ)断層のあいだにできた多大浦盆地の南西部にあたり、断層や断層岩、岩脈、鉱脈、斜交層理、生痕化石といった、さまざまな地質構造を一か所で見られます。そのため「地質学の教科書」と呼ぶにふさわしい場所として紹介されています。