南楊州(ナミャンジュ)の思陵は、朝鮮第6代王・端宗(タンジョン)の王妃、定順王后(チョンスンワンフ)宋氏(1440〜1521)の陵です。15歳で王妃となり、夫を失ってから60年以上ひとりで生きた王妃の墓なので、朝鮮王陵の中でもとりわけ物語が切ない場所です。規模は小さいものの、松林に囲まれて静かで、2009年にユネスコ世界遺産「朝鮮王陵」のひとつとして登録されました。
定順王后は1454年に端宗の王妃となりましたが、叔父の首陽大君(世祖)が王位を奪ったことで、すべてが崩れました。1457年に端宗が魯山君(ノサングン)に降格されて寧越(ヨンウォル)へ流刑となり、その年に亡くなると、王后も「魯山君夫人」へと身分が下げられました。その後、都城の東大門の外に小さな家を建て、生涯白い服を着て、肉も魚も食べずに暮らしたと伝わります。
1521年に亡くなった際には、王妃ではなく大君夫人の礼で葬儀が行われました。子どもがいなかったため、端宗の姉・敬恵公主の嫁ぎ先である海州鄭氏の墓域に葬られ、祭祀も鄭氏の一族が続けてきました。1698年(粛宗24年)に端宗が王として復位されると、彼女も定順王后として復位され、墓は「思う」の字を用いた思陵(サルン)になりました。生涯夫を想い続けた心が込められた名前です。
思陵は1973年に初めて公開されましたが、来場者が少なく1980年に再び閉鎖されました。その後、宮殿や王陵に植える木や野草を育てる苗圃として使われたあと、2014年1月1日から再び一般に公開されました。2020年には、紅箭門から管理事務所へ続く森の道も開通しました。
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