峨嵯山は、ソウル・広津区(クァンジング)と京畿道・九里(クリ)市の境にそびえる、低めの花崗岩の山です。高さは資料によって285〜296mと異なりますが、尾根に上がると漢江とソウル東部の市街地が一望できます。三国が漢江をめぐって争った時代の山城や高句麗の堡塁が残っていて、短い山歩きに歴史の物語がついてきます。地下鉄の駅からそのまま登れるのも魅力です。
峨嵯山は1973年に自然公園に指定されました。南麓の峨嵯山城(史跡)は、周囲1,125m、城壁の高さ平均10mほどの三国時代の山城で、漢江の対岸にある風納土城(プンナプトソン)と向かい合っています。ここには悲しい話が二つ伝わっています。百済の都・漢城(ハンソン)が高句麗に陥落したとき、蓋鹵王(ケロワン)がこの城の下で命を落としたという話と、高句麗・平原王(ピョンウォンワン)の婿である温達将軍(オンダル)が、失われた土地を取り戻そうと新羅軍と戦って城の下で戦死したという話です。城内には、この伝説にちなんだ「温達泉(オンダルセム)」があります。誰が最初に築いたのかはまだ議論がありますが、発掘では主に高句麗系の土器が出土しています。
尾根沿いに点在する峨嵯山一帯の堡塁群(史跡)は、峨嵯山、龍馬山(ヨンマサン)、忘憂山(マンウサン)などにある17か所ほどの小さな要塞です。そのうち10か所余りが高句麗の堡塁と推定されていて、韓国南部で高句麗の遺跡が最も多く集まっている場所です。高句麗が5世紀後半に漢江流域を手に入れてから、551年に新羅と百済に奪われるまでの歴史を伝える資料とされています。