世宗市・全義面の雲住山の麓にある碑巌寺は、規模の小さい山寺ですが、韓国仏教彫刻史において重要な遺物が出た場所です。1960年、境内の三層石塔の上で発見された石の仏碑像に、百済の遺民が残した文字が刻まれていたからです。森に囲まれて人影が少なめで、静かな山寺の雰囲気を味わうのにぴったりです。
碑巌寺は、統一新羅末期に道詵国師(トソン)が建てたという話が伝わっていますが、確かな沿革はわかりません。むしろ手がかりは、ここから出た遺物にあります。三層石塔で発見された癸酉銘全氏阿弥陀仏碑像(国宝)には、「癸酉年」とヘミョンという僧侶の名前、そして百済の王と大臣、七代の先祖の魂のために寺を建て、仏像を作ったという内容が刻まれています。このため、統一新羅初期の673年に、百済の遺民たちがこの寺に関連して仏碑像を作ったという見解が有力です。
一緒に発見された己丑銘阿弥陀仏碑像(宝物)と弥勒菩薩半跏思惟碑像も、国宝の仏碑像とともに、今は国立清州博物館にあります。世宗市から出た重要な国家遺産の相当数が碑巌寺から出たといえるほど、ここはこの地域の歴史の出発点のような場所です。
仏碑像は、碑石のような形の石に仏と菩薩を刻み、作った人々の願いを文字で残した仏教彫刻です。碑巌寺の仏碑像は、国を失った百済の人々が、三国統一の直後に昔の王や先祖のために祈った痕跡であり、美術史だけでなく歴史記録としても大きな価値があります。現在の碑巌寺は、大韓仏教曹渓宗第6教区本寺である公州の麻谷寺(マゴクサ)に属するお寺です。