統営(トンヨン)の閑山島(ハンサンド)と赤い橋でつながる楸峰島は、面積約3.8㎢の小さな島です。静かな港町と丸い石の浜だけを見ると想像しにくいですが、朝鮮戦争のとき、この島には共産軍の捕虜約1万人が収容されていました。閑山島の制勝堂(チェスンダン)とあわせて、2つの島の歴史を1日で歩いてみるのにぴったりです。
楸峰島の歴史は、朝鮮初期にさかのぼります。1419年(世宗元年)、李宗茂(イ・ジョンム)将軍が率いる征伐軍が対馬へ向かう際、当時「朱原防浦(チュウォンバンポ)」と呼ばれていた現在の楸峰島を寄港地としました。『朝鮮王朝実録』には、227隻の艦隊がここから出発し、南風に押されて戻ってきた後、再び対馬へ向かったという記録が残っています。
朝鮮戦争中、巨済島(コジェド)捕虜収容所の捕虜の一部が楸峰島や龍草島(ヨンチョド)などへ移されるにつれ、1952年5月から島の礼谷(イェゴク)村と楸院(チュウォン)村一帯に収容所が置かれました。二重の鉄網と円形の鉄条網で囲まれた収容所に、共産軍の捕虜約1万人が収容され、住民は村を空けなければなりませんでした。休戦協定が結ばれた1953年7月27日以降、収容所が閉鎖されると住民たちは戻ってきましたが、補償は受けられなかったと伝えられています。収容所が撤去された後、住民たちはセメントの床をはがして、再び畑を耕しました。
現在の礼谷村には、収容所の正門の柱が1本と、ここが捕虜収容所だったことを知らせる案内板が残っています。華やかな記念館はありませんが、畑と家の間にぽつんと立つ柱が、かえってその時代をくっきりと思い起こさせます。