統営(トンヨン)市街と弥勒島(ミルクド)の間の狭い海の底を、歩いて渡る483mのトンネルが通っています。1932年に完成した統営海底トンネルは、東洋初の海底構造物とされ、今は車の代わりに人だけが行き来する道です。頭上を船が通る海の底を歩いて渡る体験が、ここの魅力です。
弥勒島はもともと、引き潮のときには歩いて渡れた島でした。日本統治期に日本人漁民の移住が本格化すると、統営市街と弥勒島の間の距離を縮めるため、統営運河を掘る際に、その下にトンネルも一緒につくりました。工事は1931年に始まり、1932年に終わりました。海の両側を堤で締め切って水を抜いた後、その底に型枠を組んでコンクリートを流し込み、完成後に堤を撤去する方式でした。運河とトンネルが一緒にできたことで、船は運河の上を、人と車は海の下を通るようになりました。その後、運河の上に忠武橋(チュンムギョ)と統営大橋が架かると、車は橋に移り、海底トンネルは車両通行が禁止された歩く道として残りました。
トンネルは長さ483m、幅5m、高さ3.5mの鉄筋コンクリート構造です。最も深い場所の深さは、資料によって海面下最大10m、または満潮基準で13.5mと出ています。日本が主導してつくった施設ですが、朝鮮の人力と資材で完成したという点で歴史的価値が認められ、2005年に登録文化財(現在の国家登録文化遺産)になりました。
トンネルの入口には、「龍門達陽」(ヨンムンダリャン)という4文字が刻まれています。龍門を過ぎれば山陽(弥勒島側の地名)に着くという意味に解釈され、当時の日本人の統営郡守が自ら書いた文字と伝えられています。そのため、この文字は日本統治期の収奪の歴史を示す痕跡としても残っています。入口は、木の柱を組んだトラス構造でつくられています。
あえて海の底に道を通した理由をめぐっては、俗説もひとつ伝わっています。この海は、1592年の壬辰倭乱(文禄の役)で李舜臣が戦った閑山島大捷の舞台に近く、多くの日本軍が死んだ海の上を踏んで通ることはできないため、下に掘ったという話です。記録で確認された事実ではないので、あくまで話のネタとして聞いておいてください。