忠州(チュンジュ)の嚴正面(オムジョンミョン)槐洞里(クェドンニ)、松の木に囲まれた丸い丘の頂上に、石の欄干をめぐらせた小さな石造物があります。朝鮮の景宗(キョンジョン)の胎(へその緒や胎盤)を埋めた忠州 景宗胎室です。景宗は、粛宗と禧嬪張氏(ヒビン・チャンシ)の間に生まれた王で、彼が生まれた1688年に整えられたこの胎室は、王位を継ぐ人にのみ許された格式を備えています。
朝鮮王室は、王子や王女が生まれると、胎をきれいに洗って甕に納め、よい土地を選んで埋めました。たいていは胎甕を埋めるだけでしたが、世子や世孫のように王位を継ぐ人の胎は、別に石室をつくってその中に祀りました。そして、その主が実際に王位に就くと、胎室をいっそう華やかに飾る加封を行い、石碑を建てました。
1688年(粛宗14年)に禧嬪張氏が王子を産んだ後、ここに初めて胎室を設けました。胎室碑には、景宗がその年の10月に生まれ、翌年2月に胎を埋めたと刻まれています。景宗が1720年に王位に就くと、隣に胎室碑を建て、英祖の時代の1726年(英祖2年)には、王命により胎室の周囲に八角形の石の欄干をめぐらせて、石碑を建てました。胎室を守る守護兵16人を置き、3年ごとに祭祀を行ったそうです。
日本統治時代には、管理が難しいという理由で胎室が別の場所へ移され、石室の中の胎甕も昌慶宮(チャンギョングン)へ持ち出されました。石造物は1976年に元の場所へ戻って復元されましたが、胎甕は戻ってこられず、現在は石造物と胎室碑だけがこの丘を守っています。1975年8月20日に「景宗大王胎室」という名前で忠清北道の有形文化遺産になり、2013年1月に現在の「忠州 景宗胎室」に名前が変わりました。