芝生の真ん中、わざわざ築き上げた土の丘の上に、七層の石塔が立っています。忠州塔坪里七層石塔(チュンジュ・タッピョンニ)は、現存する統一新羅の石塔の中で最も大きく高い塔です。国のちょうど真ん中あたりにあるとして「中央塔」という通称で呼ばれることが多く、この通称のために2014年1月1日、この地域の可金面(カグムミョン)の名前が中央塔面(チュンアンタプミョン)に変わったほどです。
塔がいつ建てられたかを示す記録はありませんが、基壇の柱の彫刻の配置や、塔身・屋根石を組み合わせた方法から、統一新羅後期の8世紀後半に建てられたものとみられています。1917年に塔を修理した際、6層の塔身と基壇の下から舎利装置と遺物が出土し、6層から出た鏡が高麗時代のものだと判明しました。塔が建てられた後、高麗の時代にもう一度舎利を納めたということです。日本統治期の修理の過程で、一部の姿が変わったという論争もあります。1962年に国宝に指定されました。
これほど大きな塔が忠州に建てられたのには理由があります。忠州は、新羅が地方に置いた5つの小京(副都)のひとつ、国原小京(クグォンソギョン)、のちの中原京(チュンウォンギョン)があった場所です。南漢江の水運と峠道が出会うこの地は、新羅が漢江流域を治める拠点で、川辺にそびえる塔は、その重みを示す記念碑だったといえます。
塔が立つ中央塔史跡公園には、広い芝生と彫刻公園があり、忠州博物館も公園内にあります。すぐ隣の南漢江には、調整池ダムによってできた湖弾琴湖(タングムホ)があり、夏には水上レジャーを楽しむ人も多いです。