南漢江からほど近い、原州・富論(プロン)面の明峰山(ミョンボンサン)の麓にある広いお寺の跡に、高麗の僧塔の傑作とされる国宝が、110年余りぶりに戻ってきました。原州・法泉寺跡は、高麗の文宗の時代に国の師であった智光国師・海麟(ヘリン、984〜1070)が出家し、生涯を終えた寺の跡地です。寺跡には国宝の智光国師塔碑が元の場所を守っており、すぐ隣の法泉寺跡遺跡展示館の中で、長い放浪の末に戻った智光国師塔を見られます。
法泉寺は統一新羅の時代に建てられ、高麗の時代に大いに栄えました。残っている最も古い記録は928年で、高麗時代には有力な仏教宗派だった法相宗の中心寺院として、貴族の後援を受けました。智光国師は若い頃にこの寺で僧侶の道に入り、王師と国師を務めたあと、1070年にここで入寂しました。
朝鮮初期には、学者の劉方善(ユ・バンソン)がこの寺に滞在して弟子を教え、韓明澮(ハン・ミョンフェ)、徐居正(ソ・ゴジョン)、権擥(クォン・ラム)といった人物が彼に学んだと伝えられています。『洪吉童伝』の作者として知られる許筠(ホ・ギュン)は、ここを訪れたのち、「遊原州法泉寺記」を残しており、その文章によると、寺は壬辰倭乱の際に焼けて再興できませんでした。寺跡は2005年に国の史跡となりました。
智光国師塔は、八角形が多い高麗の僧塔とは違い、四角形の平面を基本としており、屋根石の下まで仏像、菩薩、鳳凰を刻んだ華やかな塔です。この塔が故郷に戻るまでの過程は、それ自体が韓国の近現代史です。
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