康津(カンジン)の万徳山(マンドクサン)の麓にある茶山草堂(タサンチョダン)は、朝鮮後期の実学者茶山 丁若鏞(チョン・ヤギョン、1762〜1836)が、流刑の時代に10年以上暮らして、『牧民心書』と『経世遺表』を書き綴った場所です。木の根が露出した森の道を登り、小さな草堂と池、岩の文字に出会い、康津湾が見える楼閣で一休みする、短くても心に残る散策です。
正祖(チョンジョ)の寵愛を受けていた丁若鏞は、1800年に正祖が亡くなったあと、1801年の辛酉迫害(シニュバクヘ)に巻き込まれ、全羅道の康津へ流されました。最初は町の酒幕(宿屋兼居酒屋)に身を寄せましたが、罪人だからとみんなが避けるなかで、女将が部屋を貸してくれたので、その部屋に四宜斎(サウィジェ)という名をつけました。その後、いくつかの場所を経て、母方の実家である海南尹氏(ヘナム・ユンシ)の助けにより、1808年から万徳山のこの草屋に落ち着きました。ここで弟子たちを教えながら、『牧民心書』『経世遺表』『欽欽新書』をはじめとする膨大な著作を残し、18年に及んだ流刑は、実学を集大成する時間となりました。昔の草堂は崩れて、1958年に今の建物が再建され、遺跡は1963年に史跡に指定されました。
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