月岳山(ウォラクサン)の南、松渓(ソンゲ)渓谷に沿って車を走らせていると、道沿いに虹形の門が開いた石の城門が、ふいに現れます。堤川 徳周山城(トクチュサンソン)は、聞慶(ムンギョン)と忠州(チュンジュ)をつなぐ道の要衝をふさいでいた山城で、大部分が崩れた城壁のあいだに、朝鮮時代に築いた南門・東門・北門が残っています。月岳山国立公園の徳周谷での山歩きや、松渓渓谷のドライブの途中にあるので、あわせて巡るのに向いています。
徳周山城は、統一新羅の時代に石で築かれた山城として知られていて、内側の内城と外側の外城からなっています。内外に五重の城壁があり、築かれた時期がそれぞれ異なるため、城郭研究では大切な資料と評価されています。城壁の周囲は32,670尺(約9.8km)に達していたといいます。山城の名は、谷の奥にある徳周寺や徳周谷とつながっています。
この山城には、2つの話が伝わっています。1256年(高麗の高宗43年)、モンゴル軍が忠州を攻撃したとき、突然、雲と風、ひょうが吹き荒れたため、敵軍が神の助けがある土地だと言って逃げ去ったというのがひとつです。もうひとつは、朝鮮末に明成皇后(ミョンソンファンフ)が興宣大院君との権力争いで押されることに備えて、避難所を用意するためにここに城門を築いたという話です。徳周山城は1983年に忠清北道の記念物に指定されました。