錦山(クムサン)邑上里(サンニ)の丘の上、石段を上った先にある錦山郷校は、壬辰倭乱の傷から立ち直った学校です。もとは別の村にあった郷校が戦争で焼け、1684年に今の場所へ移して再建されました。大成殿と明倫堂(ミョンニュンダン)がよく残っており、地域の儒生の名簿や規約を記した古文書も伝わっていて、錦山の郷土史研究の重要な資料となっています。
錦山郷校は、朝鮮初期に今の錦山邑下玉里(ハオンニ)白鶴洞(ペッカクトン)に建てられたとみられます。最初に建てられた正確な年は分かっていません。壬辰倭乱で焼けた後、修理しながら使われていましたが、1684年(粛宗10年)に今の場所へ移して建て直され、その後も何度か大小の修理を経ました。1967年には明倫堂と付属の建物が修理されました。1997年12月23日に、郷校一帯の約**3,835㎡**が忠清南道の記念物に指定されました。それより前の1984年には、大成殿が別に忠清南道の文化遺産資料となっていました。
前に明倫堂、後ろに大成殿を置く「前学後廟」の配置です。
錦山郷校には、木版本45種171冊、筆写本13種17冊の書物が伝わっています。そのうち、地域の儒生の名簿である『郷案』と『青衿録』、郷校の運営規約を記した『契約章程』と『完議』などの文書は、朝鮮時代の錦山社会を知る手がかりとなる資料です。