錦山(クムサン)の進岳山(チナクサン)の南東の麓にある宝石寺は、寺よりも前庭の木のほうが有名な場所です。樹齢1,000年を超えるとみられる天然記念物のイチョウが立っていて、寺へ続く道にはモミの森の道が300mほど続いています。壬辰倭乱のとき、僧兵を率いた霊圭(ヨンギュ)大師の足跡も残っています。
宝石寺は、新羅末に祖丘(チョグ)大師が建てたと伝えられています。創建の年は、資料によって866年、885年、886年と異なって記されています。寺の前の山の中腹の岩から掘り出した金で仏像をつくったという話から、「宝石寺」という名前が生まれました。
境内には、大雄殿、奇虚堂(キホダン)、義禅閣(ウィソンガク)、山神閣などがあります。義禅閣は、壬辰倭乱のときに僧兵を起こして戦い、戦死した霊圭大師が修行していた場所で、彼を称える義兵僧将碑も寺の近くにあります。大雄殿には、17世紀の釈迦如来三尊仏の特徴をよく伝える木造釈迦如来三尊坐像(忠清南道有形文化遺産)がまつられています。
宝石寺のイチョウは、1990年に天然記念物に指定されました。高さ25.9m、胸の高さの周囲10.5mで(高さをもっと高く記す資料もあります)、指定当時の樹齢は約1,000年以上とされました。根元から、高さ2〜3mの新芽が数えきれないほど生えている姿が独特です。
祖丘大師が寺を建てたころ、弟子たちと一緒に植えたと伝えられ、村に大きな出来事が起こりそうなときには、音を立てて知らせるという話があります。1945年の光復、1950年の朝鮮戦争、1992年の大干ばつのときに鳴いたと伝えられ、村の人々は今も、村を守る神聖な木と考えています。
霊圭大師は、1592年に壬辰倭乱が起こると、僧兵を集めて戦った僧侶です。義兵将の趙憲(チョ・ホン)とともに錦山で日本軍と戦って命を落とし、このとき戦死した義兵たちをまつった場所が、錦山の七百義塚(チルベギチョン)です。宝石寺の義禅閣と義兵僧将碑は、その霊圭大師を偲ぶ場所です。宝石寺と義兵僧将碑は、1984年に忠清南道の文化遺産資料に指定されました。
寺の入口のモミの森の道は、長さが約300mと短いものの、木々がまっすぐで高く、歩きがいがあります。渓谷の水音をたどって登ると、イチョウが最初に迎えてくれます。周辺には、石洞地(ソクトンジ)貯水池や進岳山洞窟などの見どころもあり、ドライブコースとしてまとめやすい場所です。