金堤(キムジェ)市街のど真ん中、城山公園の南の斜面に、朝鮮時代の公立学校だった金堤郷校があります。正門の楼閣・萬化楼(マヌァル)、講堂の明倫堂、孔子の祠堂の大成殿が、庭を囲まずに一直線に並ぶ配置が目を引きます。東へ約130mの場所には、郡守の執務室と住まいがともに残る金堤官衙があり、二か所は2007年に「金堤郡官衙と郷校」として、ともに史跡に指定されました。
郷校は、孔子と諸聖賢に祭祀を捧げ、地方の人々を教えた国の教育機関です。金堤郷校は、朝鮮の太宗4年である1404年に建てられましたが、1597年の丁酉再乱で焼け、長いあいだ再建されないまま、仁祖13年の1635年に長水(チャンス)郷校を手本に再建されました。朝鮮時代には国から土地や奴婢、書籍を与えられて運営されていましたが、1894年の甲午改革で近代的な学校制度が導入されると、教育の機能はなくなり、祭祀の機能だけが残りました。
講堂の明倫堂は、1842年と1879年に建て直され、朝鮮戦争で一部が壊れたため、1958年に再び手が加えられました。正門の楼閣・萬化楼は1935年に再建された建物と紹介されますが、資料によっては、1635年の復元後、1964年に修理したともいいます。
郷校から少し下ると、郡守が執務していた東軒があります。1667年に郡守の閔濤(ミン・ド)が「近民軒」という名で建て、1699年に建て直されて「四七軒」となりました。正面7間、側面4間の入母屋屋根の建物で、日本統治期から1960年代初めまで邑事務所として使われていましたが、1984年に元の姿に復元されました。郡守の住まいである内衙は、「コ」の字形の母屋が残っており、東軒と内衙がともに残る例は珍しいです。東軒の前庭の左側にある小さな東屋避襟閣(ピグムガク)は、1633年に松江・鄭澈(チョン・チョル)の息子である鄭弘溟(チョン・ホンミョン)が金堤郡守を務めていたときに建てたといいます。