扶安邑(プアンウプ)の西、松林に囲まれた丘に、階段のように段々と建つ学校が扶安郷校です。1414年に建てられた朝鮮時代の公立教育機関で、紅箭門(ホンサルムン)と下馬碑のある入口から、2階建ての楼閣・万化楼(マンファル)を過ぎ、明倫堂、大成殿まで、石段に沿って順番に登っていきます。郷校から300mほど離れた場所には、石の幢竿がそのまま残る西外里幢竿支柱(ソウェリトゥンガンジジュ)があり、あわせて見るのに向いています。
扶安郷校は、朝鮮の太宗14年の1414年に初めて建てられました。壬辰倭乱と丁酉再乱でともに焼失し、宣祖33年の1600年に大成殿と明倫堂が再建されました。1607年に正門の楼閣・万化楼を新たに建て、1848年に養士斎(ヤンサジェ)を加えて規模を広げ、1894年に県監の趙淵命(チョ・ヨンミョン)が東斎と西斎を新たに建てました。
朝鮮時代には、国から土地と奴婢、書物を受けて学生を教えましたが、1894年の甲午改革で近代教育制度ができると、教育の機能はなくなりました。今は、春と秋の釈奠(ソクチョン)と、毎月の朔日(ついたち)・満月の焼香といった祭祀を続けています。