ほとんどの書院は村から離れた景色のよい場所に位置していますが、井邑(チョンウプ)市漆宝面(チルボミョン)の武城書院は村の真ん中にあります。新羅末の学者**崔致遠(チェ・チウォン)**をたたえる祠堂から始まり、数百年にわたって地域の儒者と住民がともに守ってきた場所で、2019年に「韓国の書院」9か所の一つとして、ユネスコ世界遺産に登録されました。
崔致遠は、新羅末の886年ごろ、現在の井邑一帯である泰山(テサン)の太守として赴任し、町を治めました。彼の善政を覚えていた人々が祠堂を建てたのが、書院の始まりです。祠堂はその後、現在の場所へ移され、1615年に地域の儒者たちが泰山書院を建てました。1696年には、粛宗から**「武城書院」**という名前を賜った賜額(サエク)書院となりました。
19世紀後半、興宣大院君が全国の書院を大量に廃止したときも、武城書院は生き残った47か所の一つでした。いま全羅北道で、そのとき取り壊されなかった唯一の書院です。書院には、崔致遠と「賞春曲」を作った**丁克仁(チョン・グギン)**など7人を祀っています。
武城書院には、教育の目標と方法を詳しく記した学則である**院規(ウォンギュ)**が伝わっています。院規によると、ここでは性理学の勉強に力を入れ、『撃蒙要訣』と『小学』から始めて四書三経へと進みました。年齢や身分に関係なく、学ぶ意志があれば誰でも受け入れましたが、いったん入ったら、身なりを整え、雑談をしてはならないという規則が厳しかったそうです。15世紀末以降の出入りの記録や講学の記録も残っており、朝鮮の書院の教育の様子をよく伝えています。