金浦(キンポ)の章陵は、仁祖(インジョ)の父である元宗(ウォンジョン)と、母の仁献王后(インホンワンフ)が並んで眠る朝鮮王陵です。生前には一度も王位に就けなかった人物が、息子のおかげで王に追尊され、墓も「園」から「陵」に格上げされた、めずらしい場所です。2009年にユネスコ世界遺産に登録された朝鮮王陵40基のひとつで、金浦の中心部のすぐ隣で、池と松林に沿ってゆっくり一周するのに向いています。
元宗(1580〜1619)は、宣祖の五男の定遠君(チョンウォングン)です。生前は王子の身分のまま世を去りましたが、1623年の仁祖反正で長男の綾陽君(ヌンヤングン)が王位に就くと、状況が変わりました。仁祖は、まず父を大院君に高め、**1632年(仁祖10年)**には「元宗」という王の称号を贈りました。
この場所はもともと、1626年に亡くなった仁祖の母・啓運宮 具氏(のちの仁献王后)の墓である毓慶園(ユッキョンウォン)でした。翌年、別の場所にあった父の墓の興慶園(フンギョンウォン)をここへ移してきて二つの墳丘が並び、追尊とともに名前も「章陵」となりました。陵の下の碑閣には、**1753年(英祖29年)**に建てられた標石が立っています。英祖と正祖は、毎年ここを訪れて祭祀を行ったといいます。
朝鮮王陵には、ハングルで「チャンヌン」と書く陵が三か所あります。金浦の章陵(元宗)、寧越(ヨンウォル)の莊陵(端宗)、坡州(パジュ)の長陵(仁祖)です。とりわけ、父の元宗は金浦に、息子の仁祖は坡州に、それぞれ「チャンヌン」という名で眠っているので、案内文の漢字を確認すると混乱しません。
陵から桂陽山(ケヤンサン)のある南を眺めると、仁川・黔丹(コムダン)新都市の高層マンションが視界に入ります。2021年にいわゆる「王陵ビュー・マンション」の論争が起き、文化財庁が工事中止を命じましたが、2024年に最高裁で建設会社に有利な判決が確定しました。世界遺産の周辺景観をどう守るかを、あわせて考えさせられる場面です。
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