
Audio guide
Stop 3 of 12 · This sight is a stop on an audio walk
„A signboard that cracked, an answer found in Tokyo, and two guardians under straw mats.”
12 stops 150 min 5.9 km
景福宮(キョンボックン)は、朝鮮が漢陽(ハニャン)に都を定めたのち、1395年に最初に建てた宮殿です。名前は『詩経』の一節に由来し、「大いなる福を享受せよ」という意味。宮殿と主要な殿閣の名は鄭道伝(チョン・ドジョン)がつけました。焼失と再建を繰り返し、植民地時代にはその大部分が取り壊され、今も復元が続く宮殿なので、歩いていると朝鮮500年と近現代史がひとつの空間に重なって見えてきます。
景福宮が法宮(正宮)にふさわしい姿を整えたのは、世宗(セジョン)の時代です。世宗はここを主な住まいとして集賢殿(チッピョンジョン)を置き、訓民正音(ハングル)の創製を助けた学者たちがこの宮殿の中で働きました。水時計や天文観測の施設も、このころ宮中に設けられました。
場所選びでは、風水と儒教の礼法がともに考慮されました。宮殿の背後には北岳山(プガクサン)、前方には清渓川(チョンゲチョン)と漢江(ハンガン)が流れ、宮殿の左(東)には歴代の王の位牌を祀る宗廟(チョンミョ)、右(西)には土地と穀物の神を祀る社稷壇(サジクタン)が置かれました。宮殿内部も、手前に政務を行う正殿と便殿、奥に王と王妃の寝殿と後苑を置く「前朝後寝」の原則に従って配置されています。1553年には大火で便殿と寝殿一帯が焼け、翌年に再建されたこともあります。
1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で宮殿は完全に焼け落ち、財政難のため約270年にわたって空き地のままでした。1865年、神貞王后(シンジョンワンフ)の指示で始まり興宣大院君(フンソンデウォングン)が率いた再建を経て、1868年に高宗(コジョン)が再び入ったことで、宮殿はよみがえりました。1887年にはこの宮殿で韓国初の電灯がともり、1895年には明成皇后(ミョンソンファンフ)が宮内の乾清宮(コンチョングン)で殺害されるという悲劇も起きました。
日本統治時代には、宮殿の象徴性がかえって標的になりました。1888年ごろに約500棟あった建物の大半が売却されたり取り壊されたりして、光復(解放)のころには約40棟しか残らず、勤政殿(クンジョンジョン)の前には朝鮮総督府庁舎が建てられました。1915年には宮内で朝鮮物産共進会という博覧会が開かれ、多くの殿閣が取り壊されました。朝鮮戦争中の1950年にも爆撃で複数の建物が壊れています。この庁舎は1995〜1996年に撤去され、1990年から続く第1次復元で89棟が再建されました。第2次復元は2045年までの計画です。
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