西村(ソチョン)は、景福宮(キョンボックン)の西側と仁王山(イナンサン)のあいだに広がる、ソウルの古い街です。「西の村」という名のとおり、景福宮の塀の向こうに、韓屋(ハノク)の路地や小さな市場、画家や詩人が暮らした家が連なっています。北村(プクチョン)よりも静かで、暮らしの気配が残っているので、ソウルの昔ながらの街並みを感じながら、路地をゆっくり歩くのにぴったりです。
西村の境界ははっきりしています。東は景福宮、西は仁王山、南は社稷壇(サジクタン)前の道、北は北岳山(プガクサン)と彰義門(チャンウィムン)です。景福宮と社稷壇に近いことから、朝鮮初期より王族や権力者がたくさん住んでいました。太宗・李芳遠(イ・バンウォン)の家は現在の通仁洞(トンインドン)にあり、この一帯は世宗大王の生誕地としても知られていて、今も「世宗村(セジョンマウル)」という名前が併用されています。朝鮮時代には壮義洞、壮洞、北村など、さまざまな名前で呼ばれ、朝鮮後期に最大の勢道家門だった新安東金氏(シナンドン・キムシ)が集まって暮らしたことから、「壮洞金氏」という言葉が生まれました。
日本統治期以降は、文人や画家が多く住む街になりました。画家の李仲燮(イ・ジュンソプ)、李象範(イ・サンボム)、詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ)、李箱(イ・サン)らが、西村にゆかりのある人物です。大統領府(青瓦台)に近いため、長いあいだ開発が制限されてきましたが、そのおかげで昔ながらの路地が残り、2010年に韓屋密集地区に指定されたことで、あらためて注目を集めるようになりました。今も600棟を超える韓屋が集まっていると紹介されています。
西村を南北に貫いて、清渓川(チョンゲチョン)の最初の上流にあたる白雲洞川(ペグンドンチョン)が流れていました。仁王山から下りてくる青風渓(チョンプンゲ)、玉流洞川(オンニュドンチョン)、水声洞川(スソンドンチョン)の水が集まってできた流れです。
この街では、朝鮮の名画もいくつか生まれました。安平大君(アンピョンデグン)が夢の話を描かせた『夢遊桃源図』、鄭敾が雨上がりの仁王山を描いた『仁王霽色図』は、どちらも西村とゆかりがあります。安平大君は水声洞の渓谷に「匪懈堂(ピヘダン)」という家を建て、景色を楽しんだといわれます。英祖(ヨンジョ)は王になる前、通義洞(トンイドン)の彰義宮(チャンイグン)で若い日々を過ごしましたし、秋史・金正喜(キム・ジョンヒ)は、自分の家は「壮洞」にあると手紙の封筒に書きました。こうした話を知って歩くと、ふつうの路地も違って見えてきます。