城北区(ソンブクク)敦岩洞(トナムドン)、高層マンションの間の北岳山のふもとに、朝鮮を建てた太祖 李成桂(イ・ソンゲ)が建てた寺があります。興天寺は、太祖が先に亡くなった王妃神徳王后の冥福を祈るために建てた願刹で、600年以上、何度も場所を移しながら受け継がれてきました。19世紀に王室の後援で建てられた法堂と、珍しい42本の腕を持つ千手観音像が残っていて、ソウル都心の寺の中でも、語りたくなる話題の多い場所です。
神徳王后康氏が1396年に亡くなると、太祖は、景福宮に近い今の中区貞洞(チョンドン)に王妃の陵・貞陵(チョンヌン)をつくり、そのそばに興天寺を建てました。創建年は、資料によって1396年または1397年とされています。当時の興天寺は170間余りの大きな寺で、太祖が興天寺の鐘の音を聞いてから箸を取ったという話も伝わっています。
太祖が亡くなったあと、太宗は、継母である神徳王后の陵を都城の外に移しました。興天寺はしばらく王室の法会や外国使節の接待に使われましたが、燕山君のときの1504年に大火でほとんど焼けてしまいました。宣祖のときの1569年に別の場所に建て直して「新興寺」と呼び、正祖のときの1794年に、移された貞陵に近い今の場所に来ました。1865年に興宣大院君の後援で大房を建てて中興し、興天寺という名前を取り戻しました。
世祖のときの1462年に王室がつくった興天寺銘銅鐘(宝物)は、朝鮮前期の梵鐘の基準となる作品です。寺が移り変わるあいだ、鐘は別の道を歩み、今は興天寺ではなく景福宮で保管されています。興天寺と景福宮をあわせて巡れば、同じ王室の願刹から出た鐘と法堂を、つなげて見られます。