ソウル城北区(ソンブクク)の安岩洞(アナムドン)、高麗大学校のすぐ隣の開運山(ケウンサン)の麓にある曹渓宗の寺院です。1396年に無学大師(ムハクデサ)が建てた永導寺(ヨンドサ)に始まるとされ、近代には仏教の講院と僧伽大学が置かれた「学びのお寺」でした。地下鉄の駅から歩いて10分の距離に、1274年の修復記録を宿す高麗の仏像と、高麗の磨崖仏がそろっています。
お寺の始まりは、朝鮮の太祖5年(1396年)に無学大師が今の場所の近くに建てた永導寺と知られています。正祖3年(1779年)、正祖の後宮・元嬪洪氏(ウォンビン・ホンシ)が若くして亡くなり、お寺の隣に墓所の明仁園(ミョンイヌォン)ができると、お寺を今の場所に移して開運寺に名前を改めたといいます。ただし、移した時期と名前を変えた理由は、記録によって異なり、はっきりしません。永導寺の旧跡には、今の高麗大学校の建物が建っています。
20世紀に入ると、開運寺は仏教教育の中心になりました。1926年に講院が開かれ、山内の庵である大願庵(テウォナム)では、近代の学僧・朴漢永(パク・ハニョン)が仏教専門講院を開いて、多くの学僧を育てました。1970年代には呑虛(タンホ)和尚が大願庵に滞在して経典の翻訳に力を注ぎ、1981年からは僧侶の教育機関である中央僧伽大学がここにあり、のちに京畿道・金浦(キンポ)へ移りました。
開運寺でもっとも貴重な宝物は、木造阿弥陀如来坐像(宝物)です。高さが1mを超える高麗後期の仏像で、一緒に伝わる発願文に、1274年に修復して祀り直したという記録が残っています。これまでに見つかった高麗後期の仏像のうちで最も早い修復の記録なので、仏像は少なくとも13世紀前半につくられたものとみられています。もとは忠清南道・牙山(アサン)の築峰寺(チュクポンサ)に祀られていた仏像です。仏像の中から出た9〜13世紀の華厳経の写経と版本も、別に宝物に指定されています。
大雄殿の壁には、19世紀の仏画も掛かっています。1883年に宮中の尚宮30人余りが施主となって描いた甘露図は、水陸斎の儀式と当時の庶民の暮らしぶりを生き生きと描き、向かい側には神衆図が、そのそばには1870年の地蔵十王図が一緒に祀られています。
開運寺を過ぎて東へ200mほど歩くと、小さな庵普陀寺(ボタサ)があります。大雄殿の裏の高さ約5mの岩面いっぱいに刻まれた磨崖菩薩坐像(宝物)は、高麗初期の様式を示す、ソウルに数少ない高麗の磨崖仏です。普陀寺には、片膝を立てて楽な姿勢で座る金銅菩薩坐像(宝物)も伝わっています。