城北区(ソンブクク)の北漢山(プッカンサン)のふもとにある貞陵(チョンヌン)は、朝鮮を建てた太祖の2番目の王妃、神徳王后康氏(シンドクワンフ・カンシ)の墓です。都城のまんなかにあった王妃の陵が、政治の争いの末に追いやられ、260年以上も放置されたのち、よみがえったという経緯があり、森が深いので、都心の散歩道としても親しまれています。朝鮮王陵のひとつとして、ユネスコ世界遺産にも登録されています。
神徳王后は、朝鮮の建国とともに最初の王妃となり、太祖はその息子の芳碩(パンソク)を世子に立てました。1396年に王后が世を去ると、太祖は都城の中、いまの貞洞(チョンドン)、英国大使館の近くに陵をつくり、自分が埋葬される場所まで用意しました。しかし、王子の乱を経て即位した太宗は、神徳王后を側室に格下げし、太祖が世を去った翌年の1409年に、陵を都城の外のいまの場所へ移しました。旧貞陵の木材は使臣の宿所を建てるのに使われ、屏風石や欄干石は、洪水で崩れた清渓川(チョンゲチョン)の広通橋(クァントンギョ)を直すのに使われました。ほとんど一般の墓のように残っていた貞陵は、1669年(顕宗10年)、宋時烈(ソン・シヨル)の建議で王后の地位が回復され、再び王陵の姿を整えました。
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