麗水(ヨス)・霊鷲山(ヨンチュィサン)の中腹の谷間にある寺です。興国寺は、「国が興れば寺が興り、寺が興れば国も興る」という意味を名前に込めており、壬辰倭乱のときは水軍の僧兵が滞在して訓練した護国寺院でした。入口の虹の石橋虹橋(ホンギョ)と大雄殿をはじめ、宝物に指定された文化遺産がいくつもあります。
興国寺は、1195年に高麗の普照国師知訥(チヌル)が建てたと伝わります。国の隆盛を祈る心が創建の背景で、この精神は、壬辰倭乱のときに大きく表れました。戦争中、興国寺には水軍の僧兵が集まって訓練し、その数は資料によって300人余りまたは400人余りと異なります。境内の義僧水軍遺物展示館で、その話を見られます。
今、境内には、大雄殿、円通殿、八相殿、応真殿など、いくつもの堂があります。大雄殿後仏幀、盧舎那仏掛仏幀、水月観音図、十六羅漢図、木造釈迦如来三尊像、銅鐘、木造地蔵菩薩三尊像と十王像、大雄殿観音菩薩壁画まで、宝物に指定された仏教文化遺産が多くあります。
興国寺には、もともと一柱門がありませんでした。そのため、谷を渡る虹橋が、俗世と仏の世界を分ける門、つまり不二門の役割を果たしてきました。半円形の虹霓の両側には、丸みを帯びた雑石で積んだ壁が、鶴が翼を広げたように長く伸びています。中央の頭石から両側の欄干のほうへは、鬼面像を刻み、雑鬼を防いで橋を渡る人の無事を祈りました。橋の脇の石積みは、積み方も石の種類もさまざまで、何度も手を加えて使われてきた跡を読み取れます。
境内には、全部で14棟の堂があります。円通殿は全羅南道有形文化遺産、八相殿は文化遺産資料に指定されています。