麗水市始田洞(シジョンドン)の団地のあいだに、海水が出入りする石積みの護岸が残っています。高麗時代から船を造っていた造船所の跡で、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)のときに李舜臣(イ・スンシン)将軍と羅大用(ナ・デヨン)将軍が亀甲船(コブクソン)を造った場所として知られる麗水 船所遺跡です。1995年に国の史跡に指定され、船を隠しておいた掘江(クルガン)や船をつないだ石柱など、朝鮮水軍の痕跡を間近で見られます。
船所は、カマク湾の最も奥、北の端に位置しています。湾の入口は加徳島(カドクト)と獐島(チャンド)が盾のようにふさぎ、背後は望馬山(マンマサン)に囲まれています。沖から見ると陸地のようで、近づいても海なのか湖なのか見分けがつきにくく、敵の目を避けて船を造り隠すのにうってつけの場所でした。李舜臣は壬辰倭乱(1592年)を前に、ここで亀甲船を建造しました。麗水ではここのほかにも、中央洞の本営船所や、突山邑の防踏鎮(パンダプチン)船所でも亀甲船を造っていたと伝えられています。
亀甲船は、朝鮮水軍の主力船である板屋船(パノクソン)の上に亀の甲羅のような覆いをかぶせ、錐を刺して、敵が船に飛び乗れないようにした突撃船です。李舜臣が全羅左水使として赴任したのち、軍官の羅大用とともに設計と建造を率いました。羅大用は造船技術に優れ、亀甲船建造の実務を担った人物として知られています。船所は、彼らが実際に船を造って進水させた現場であるという点で、大きな意味を持っています。
2011年までに発掘調査を終え、2012年に整備が完了して、遺跡全体が芝生と散策路できれいに整えられました。周辺が住宅街なので、雄大な景色を期待するよりも、掘江の水の色と石積みを眺めながら、数百年前の造船所の姿を思い描く場所だと考えるとよいでしょう。水面が穏やかな日には、掘江の水面に周りの山と空が映ります。