洗剣亭(セゴムジョン)へ向かう道の途中、弘済川(ホンジェチョン)の上に、5連アーチの水門と楼閣のついた城門が並んで立っています。弘智門(ホンジムン)と、その城壁である蕩春台城(タンチュンデソン)は、漢陽都城と北漢山城(プッカンサンソン)の間のすき間をふさぐために、朝鮮後期に築かれた防衛線です。車が行き交う道端にありますが、川辺に下りると、朝鮮の首都防衛体制を目の前で見られます。
壬辰倭乱(文禄・慶長の役)と丙子胡乱で都城が陥落した経験は、朝鮮王室にとって大きな傷でした。粛宗(スクチョン)は都城を修築し、1711年に北漢山城を築いた後、二つの城の間をつなぐ城を築かせました。弘智門は1715年に建てられ、蕩春台城は1718年に工事を始めて翌年に完成しました。城の長さは約4kmで、仁王山の北東から始まって弘済川を渡り、北漢山の碑峰(ピボン)の下まで続いていました。
名前は、燕山君(ヨンサングン)が洗剣亭の東の峰に築いて宴会を開いていた蕩春台に由来します。その跡地が、今の洗剣亭小学校の場所です。城内には、軍事訓練場の鍊戎台(ヨニュンデ)と軍糧倉庫がありました。
弘智門と水門は1921年の洪水で崩れた後、50年余り放置されましたが、1977年に復元されました。