市庁前の高層ビルとホテルのあいだに、八角形の屋根を三重に重ねた建物がひっそりと建っています。圜丘壇(ファングダン)は、1897年に高宗(コジョン)が天に祭祀を捧げて皇帝の位に就き、大韓帝国を宣布した祭壇の跡です。今残っているのは一部だけですが、朝鮮が中国と対等な皇帝の国であると示そうとした短い時代を、これほどはっきりと伝える場所はなかなかありません。
天に捧げる祭祀圜丘祭は、983年、高麗の成宗の時代にはじめて制度として行われました。しかし、中国を中心とする秩序では天の祭祀は天子(皇帝)だけが行えるものとされたため、朝鮮初期には抑えられました。世祖が1457年に一時的に再開したものの、1464年を最後に途絶えました。
状況が変わったのは1897年です。ロシア公使館から慶運宮(キョンウングン、徳寿宮〈トクスグン〉)に戻った高宗は、国号を大韓帝国に改め、中国の使節を迎えていた南別宮の跡地に3層の円形の祭壇を築きました。当時の棟梁沈宜錫(シム・ウィソク)が設計し、約1,000人を動員して10日で完成させたといいます。高宗はここで祭祀を行ったのち、皇帝に即位しました。2年後の1899年には、神位を祀る皇穹宇(ファングンウ)が建てられました。
ところが1913年、日本の統治下で本壇は取り壊され、その跡地に鉄道ホテルが建てられました。現在、本壇の跡地には朝鮮ホテルが建ち、残っているのは皇穹宇と石鼓、そして石積みの門です。圜丘壇は1967年に史跡に指定されました。
圜丘壇は、高宗が暮らした慶運宮(徳寿宮)のすぐ近くにあります。1897年の即位式の際、皇帝と皇太子は宮殿からここまで、軍人が並ぶ道を進んだと伝えられています。今も徳寿宮からソウル広場を通って圜丘壇まで歩いて行けるので、あの日の行列を思い浮かべながら歩くのにぴったりです。本壇があった場所はホテルの建物が建っていて見られませんが、皇穹宇の前庭に立つと、祭壇のあった方向を思い描くことができます。