パリの凱旋門に似た花崗岩の門が、ソウル市西大門(ソデムン)区の公園に立っています。独立門は1898年に市民の寄付金を集めて建てられた記念門で、もともとこの場所には、中国の使臣を迎える迎恩門(ヨンウンムン)がありました。門の前に残る二本の石柱が、その名残です。
朝鮮は長いあいだ、清国の使臣を西大門の外にあった迎恩門で迎えていました。日清戦争のあと、1895年にこの門が取り壊されると、アメリカから帰国した開化派の知識人徐載弼(ソ・ジェピル)は、その跡に自主独立を象徴する門と公園を建てようと提案しました。これを進めるために独立協会がつくられ、王室の同意と各界の寄付で、1896年11月21日に着工し、1898年に完成しました。当時の「独立」は、なによりも清国からの独立を意味していました。
設計は外国人が担当し、工事は韓国人技術者の沈宜碩(シム・ウィソク)が指揮しました。徐載弼は自伝のなかで、設計者をドイツ公使館で働いていたスイス人技師とだけ記しています。ロシア人建築家のサバチンが設計したという主張もありますが、確認されていません。
独立門は1963年に史跡に指定され、1979年の城山大路の工事の際に、もとの場所から約70m離れた現在の位置に移されました。
徐載弼は1896年6月20日付の独立新聞の社説で、独立門を建てようと初めて本格的に提案しました。ハングル版の社説は清国からの独立を強調しましたが、同じ日の英語版では、腐敗や欺瞞から抜け出すこと、日本やロシア、ヨーロッパの列強からの独立までを意味すると書きました。
日本は統治の初期、独立門を日清戦争の勝利の象徴にしようと、文化財に指定して修理しました。しかし、独立門の太極旗はかえって独立運動の象徴となり、そのため日本統治期の記録はほとんど残っていません。光復後は、独立協会の会員だった李承晩(イ・スンマン)大統領が、独立門を独立の象徴として積極的に前面に押し出しました。
門の左側の内部には頂上へ上る石の階段があり、頂上は石の欄干で囲まれています。