恩平(ウンピョン)区駅村洞(ヨンチョンドン)の住宅街にある小さな児童公園の奥、瓦屋根をのせた碑閣の中に、仁祖別墅遺基碑が立っています。朝鮮第16代の王仁祖(インジョ)が1623年に反正(クーデター)で王位に就く前に滞在していた別荘(別墅)の跡を記念して、曾孫の粛宗(スクチョン)が1695年に建てた碑石です。仁祖反正という大事件の現場を証明する史料として認められ、2006年に宝物になりました。
この場所は、朝鮮時代の漢城府の北にあった駅站延曙駅(ヨンソヨク)の近くでした。駅村洞という町の名前も、ここに由来します。もとは、仁祖の父である定遠君(のちに元宗に追尊)が家を建てて住んでいた場所です。定遠君の息子の綾昌君(ヌンチャングン)が光海君の時代に謀反の嫌疑をかけられて命を落とし、定遠君も心労で世を去ったことで、綾陽君(のちの仁祖)と光海君の因縁は深まりました。
綾陽君は、李貴(イ・グィ)、金瑬(キム・リュ)、崔鳴吉(チェ・ミョンギル)、申景禛(シン・ギョンジン)ら、反正を主導した西人派の勢力と手を組み、1623年3月に光海君政権を倒す計画を立てました。反正当日、彼は家から近い延曙駅で親衛部隊を率い、李曙(イ・ソ)の軍勢を迎えて、挙事に自ら乗り出しました。碑の裏面には、挙事の直前に側近の臣下二、三人とこの東屋で休んだこと、中興の王業が実際にここから始まったことが刻まれています。年月が過ぎて東屋は崩れ、礎石だけが雑草のなかに残ると、粛宗が敷地を整えて垣をめぐらし、碑を建ててその意を残させたと書かれています。
いまの碑石は、住宅街のなかの小さな公園の中にあります。2023年12月には、すぐ隣に住民スペース「仁祖別墅遺基碑ヌリ空間」がオープンしました。1階には自警団と文化財安全警備員の詰所、2階には小さな図書館とブックカフェが入り、文化遺産を守る役割と、町の憩いの場としての役割をあわせ持っています。