西五陵(ソオルン)は、京畿道高陽市徳陽区(トギャング)の龍頭洞(ヨンドゥドン)にある朝鮮王室の王陵群です。名前のとおり「西の五つの陵」という意味で、王と王妃が眠る5基の陵と、園・墓が広い森の中に点在しています。ソウルの都心からバスで行ける距離にあり、朝鮮王陵の構造と、陵・園・墓の違いを一度に見比べられる場所です。
西五陵の始まりは1457年です。世祖(セジョ)の長男の懿敬世子(ウィギョンセジャ)が亡くなったときにここに墓を築き、のちに彼が徳宗(トクチョン)として追尊されて敬陵(キョンヌン)となりました。その後、睿宗(イェジョン)と継妃の安順王后(アンスンワンフ)の昌陵(チャンヌン)、粛宗(スクチョン)の元妃・仁敬王后(インギョンワンフ)の翼陵(インヌン)、粛宗と二人の継妃の明陵(ミョンヌン)、英祖(ヨンジョ)の正妃・貞聖王后(チョンソンワンフ)の弘陵(ホンヌン)が順に造られました。東九陵(トングヌン)に次ぐ規模の朝鮮王陵群で、1970年に史跡に指定され、2009年に朝鮮王陵のひとつとしてユネスコ世界遺産に登録されました。
朝鮮王室の墓は、葬られた人の身分によって呼び名が変わります。王と王妃は「陵」、王の生母・世子・世子嬪は「園」、大君・公主・後宮などは「墓」と呼ばれました。西五陵には、朝鮮で最初の「園」である明宗(ミョンジョン)の長男・順懐世子(スンフェセジャ)の順昌園(スンチャンウォン)、思悼世子(サドセジャ)の母・暎嬪李氏(ヨンビンイシ)の綏慶園(スギョンウォン)、景宗(キョンジョン)の母・禧嬪張氏(ヒビンチャンシ)の大嬪墓(テビンミョ)が一緒にあり、この区分を実際に見比べるのにぴったりです。大嬪墓はもともと京畿道広州(クァンジュ)にありましたが1969年に、綏慶園は今の新村(シンチョン)一帯にありましたが1970年に、それぞれここへ移されました。
訪問前に最新情報をご確認ください。