黄岳山(ファンアクサン)の東の麓にある直指寺(チクチサ)は、大韓仏教曹渓宗の第8教区の本寺で、慶尚北道北西部の54の末寺を束ねる大きなお寺です。寺名の「直指」には「指でまっすぐに示す」という意味があり、その由来にまつわる話から、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の僧兵将・四溟大師(サミョンデサ)が出家した寺であることまで、見どころも聞きどころも豊富です。金泉(キムチョン)市内からバスで行けるので、KTX金泉九尾(キムチョングミ)駅と組み合わせて日帰りで訪れるのにちょうどいい場所です。
寺の伝承では、新羅の訥祇王(トルギワン)の時代、418年に阿道和尚(アドファサン)が最初に建てたとされています。寺名の由来は二つ伝わっています。ひとつは、阿道和尚が善山(ソンサン)の桃李寺(トリサ)から黄岳山を指さし、「あの山にも良い寺の敷地がある」と言ったという話。もうひとつは、936年に能如大師(ヌンニョデサ)が寺を再建する際、物差しを使わず自分の手で測って建てたという話です。また、930年に天黙大師(チョンムクデサ)が大蔵堂を建て、金文字で書いた大蔵経を納めたという記録も残っています。
壬辰倭乱の際にほとんどの建物が焼けましたが、毘盧殿(千仏殿)・天王門・紫霞門の3棟だけは難を逃れたといわれます。大雄殿は1602年に再建され、現在の建物は1735年(英祖11年)の再建で、2008年に宝物に指定されました。1958年以降は鹿苑(ノグォン)和尚が大規模な復興事業を率い、現在では65棟を超える堂宇が並ぶ大伽藍になっています。
四溟大師(1544〜1610)は、16歳のころに両親を亡くして直指寺で信黙大師(シンムクデサ)の弟子となり、30歳でこの寺の住職を務めました。天王門の脇にある平らな岩には、こんな話が伝わっています。信黙大師が座禅の最中に、イチョウの木に黄色い龍が巻きついている夢を見て駆けつけると、岩の上で一人の少年が眠っていました。その少年が、のちの四溟大師だったというのです。イチョウの木は1800年の火災で失われましたが、岩は今もその場所にあります。
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