亀尾(クミ)の金烏山(クモサン)の中腹、大恵瀑布(テヘポクポ)のそばにそそり立つ断崖の真ん中に、半円形にぽっかりと口を開けた天然の洞窟が道詵窟(トソングル)です。新羅末期に風水地理で名高い僧道詵(トソン)がここで悟りを開いたという言い伝えが、名前の由来です。洞窟の入口に立つと、亀尾の市街地と洛東江(ナクトンガン)が足元に広がり、金烏山の登山でもっともスリルのある展望台になります。
道詵は統一新羅末期の僧侶で、大地の気を読む風水地理を広めた人物として知られています。彼がこの洞窟で修行して悟りを得たという伝説が伝わり、高麗の大覚国師(テガククサ)や、高麗末の学者冶隠 吉再(ヤウン・キルチェ)もここを訪れ、世を避けて過ごしたといわれます。吉再は高麗が滅んだのち、朝鮮の朝廷に仕えることなく亀尾一帯にとどまって弟子を育てた人物です。
吉再をしのぶ東屋採薇亭(チェミジョン)は、1768年に金烏山の入口に建てられました。名前は、ワラビを摘んで食べながら節義を守った伯夷・叔斉のように、吉再も官職を断って慎ましく暮らしたことに由来します。道詵窟へ登る道すがら立ち寄ると、洞窟にまつわる話がぐっと身近に感じられます。
景色はよく知られていたものの、長いあいだ洞窟まで行く道がなく、人々は下から見上げるしかありませんでした。1937年に当時の亀尾の面長と村人たちが力を合わせて断崖に道を通し、その経緯を洞窟入口の岩壁に刻んで残しました。今も洞窟へ向かう最後の区間は断崖の中ほどを伝っており、岩に打ち込まれた鎖を握りながら一歩ずつ進みます。
道詵窟のある金烏山は、1970年に韓国で初めて道立公園に指定された山です。公園の面積は約**37㎢**で、亀尾・金泉(キムチョン)・漆谷(チルゴク)にまたがり、古くから嶺南八景のひとつに数えられてきました。