南江(ナムガン)がぐるりと巡って流れる崖の上に城壁が続き、その端では大きな楼閣が川を見下ろしています。晋州城(チンジュソン)は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で最も劇的な勝利と最も悲惨な敗北が、1年の間に起きた場所です。現在は、矗石楼(チョクソンヌ)や城壁の道を歩きながらその物語をたどる歴史公園になっています。
城の起源ははっきりしませんが、もともと土で築かれていた城を、高麗の禑王5年の1379年に晋州牧使の金仲光(キム・ジュングァン)が倭寇を防ぐために石で築き直しました。城壁の周囲は約1,760m、高さは5〜8mほどです。
1592年10月の第1次晋州城の戦いで、晋州牧使の金時敏は約3,800人の兵で、何倍もの日本軍を撃退しました。敵軍の規模は資料によって2万人余りとも3万人余りとも伝えられています。この勝利は閑山島大捷、幸州大捷とともに壬辰倭乱の三大大捷に数えられ、穀倉地帯の湖南を守るうえで大きな役割を果たしました。
翌1593年6月、日本軍は大軍を率いて再び晋州城を攻めました。11日間の戦いの末に城は陥落し、城内の民・官・軍の約7万人が命を落としました。その後、1604年からは慶尚右兵営がここに置かれ、1925年まで慶尚南道庁が矗石楼の前にありました。1905年に城の一部が取り壊され、1930年代には外城までなくなりましたが、1969年から復元事業が続けられ、現在の姿になりました。
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