智異山の東麓、山清(サンチョン)郡矢川面(シチョンミョン)パンチョン里の奥にひっそりと隠れた孤雲洞渓谷は、新羅の学者孤雲・崔致遠の号を名前にした谷です。崔致遠が智異山をさすらううちにとどまったほど景色がすばらしかったと伝わり、彼の号にちなんだ地名はここだけだといいます。大きな観光地の施設はなく、澄んだ水と森がそのまま残っているので、静かな渓谷を求める人にぴったりです。
**崔致遠(857年〜没年不詳)**は、12歳で唐に渡って科挙に合格し、文章で名を上げた新羅末の学者です。新羅に戻ったあとは官職を退いて、全国の山や海をさすらい、智異山のあちこちに彼にまつわる話が残っています。「孤雲」は、ひとりぼっちの雲という意味です。
パンチョン村の側から入ると、小さな谷の中に野原と村が広がり、船岩を過ぎて孤雲洞へ上る道が続きます。道の上のほうの盆地は、昔の村跡らしく、突然広く開けます。渓谷には、仙女湯(ソンニョタン)や雲如の滝(ウニョの滝)といった名のある滝つぼや小さな滝があり、丸い岩のあいだにたまった水が澄んでいて、底まで透けて見えます。
夏は深い森の木陰のおかげで暑さを避けに来る人が多く、秋は渓谷に沿って紅葉が色づき、歩くのにぴったりです。
崔致遠は、唐で反乱を起こした黄巣(こうそう)を叱りつける檄文を書いて名をとどろかせ、帰国後に編んだ文集『桂苑筆耕』が今日まで伝わっています。晩年に伽耶山の海印寺(ヘインサ)に入ったという話が広く知られていますが、智異山の麓にも、彼の筆跡や逸話があちこちに残っています。孤雲洞から峠を越えた河東の双磎寺には、彼が文を作り書いた真鑑禅師塔碑が立っています。渓谷の名前に込められた由来を知ったうえで双磎寺まで足を延ばせば、一日の行程がひとつにつながります。
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