慶州 良洞村(ヤンドンマウル)は、慶州市内から北東へ約20km離れた江東(カンドン)面の薛昌山(ソルチャンサン)の麓にある、両班(ヤンバン)の氏族村です。慶州孫氏と驪江(ヨガン)李氏の二つの家門が、助け合い、競い合いながら600年近く続けてきた村で、今も住民が瓦屋根の家や草葺きの家で暮らしています。2010年、安東(アンドン)の河回(ハフェ)村とともに、「韓国の歴史村:河回と良洞」としてユネスコ世界遺産に登録されました。
良洞村は、朝鮮前期によくあった「妻方居住」から始まりました。ヤンミン公孫昭(ソン・ソ、1433〜1484)がこの村の柳氏の娘と結婚して妻の実家に居を構え、続いて李蕃(イ・ボン)が孫昭の娘と結婚してこの村に入りました。李蕃の息子が、朝鮮性理学の先駆者とされる晦斎(フェジェ)李彦迪(イ・オンジョク、1491〜1553)で、孫昭の息子が、清廉な官僚として名高い愚齋(ウジェ)孫仲暾(ソン・ジュンドン、1463〜1529)です。李彦迪は、のちに孔子を祀る文廟に合祀されるほど高く評価された学者です。こうして二つの家門がともに村を育て、村は1984年に国家民俗文化遺産に指定されました。
村は、薛昌山から伸びる山の尾根が四つに分かれた「勿(ムル)」の字の形の地形に位置しています。谷ごとに家が隠れているため、入口からは村全体の規模がよく分かりません。両班の瓦屋根の家は高い場所に、その家の仕事を手伝う人々の草葺きの家は低い場所に集まっていて、朝鮮の身分社会の空間構成がそのまま見られます。
村には瓦屋根の家と草葺きの家をあわせて160軒を超える家があり、そのうち54軒は築200年以上の古い家です。古民家ごとに前に案内板があり、誰がいつ建てた家かを確かめながら歩けます。
村にまつわる話もあります。「勿」の字の地形の下に画を一つ足すと「血」の字になるとされ、日本統治時代に村の中を通そうとした鉄道が村を避けることになり、南向きだった小学校の建物も向きを変えて建てられたと伝わります。金属活字で刷られた国宝『通鑑続編』もこの村に伝わっています。
良洞村が世界遺産に登録された理由は、朝鮮の両班の生活空間と精神文化が、元の姿に近い形で残っているところにあります。韓国の氏族村のなかでも歴史がとりわけ古く、山麓にある氏族村の代表例です。農作業をする野原、人が暮らす家、祭祀を行う祠堂と東屋・書堂が一つの村のなかにそのまま続いており、古文書や芸術品、家門の儀礼や村の行事も、今日まで受け継がれています。川が取り巻く野原にある河回村と、山すそに寄り添う良洞村を比べてみるのもおもしろいでしょう。
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